私が念珠屋になるまで・・改め その1

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

改めてご縁を振り返ってみよう

以前は、「まさかオマエが念珠屋になるなんてね」と言われていた時代がありました。
5,6年前は「どういう経緯で念珠屋になったんですか?」と聞かれることが多かったです。

最近では、すっかり念珠屋のイメージが定着したのか、とくに疑問に思われることもありません。

急に自分自身を振り返ってみたくなりました。

もちろん、ここに書いたとがご縁の全てではありませんが、今の自分に少なからず影響を与えたなと思えることを長々と綴ってみようと思います。

ご興味がある方は、以下お読みください。

高校時代

理系でした

思えば特に目的も無く、札幌市内の普通科の高校に進学し、当時は漠然と「子どもが好きだし保育士や学校の先生なんかも良いな」と思っていたこともありました。

勉強の方はさほど優秀とは言えず、特に国語、社会科、英語はダメでした。

そんな中でも数学や理科は割と好きでしたね。

そういう状況でしたので、バランス良く点数が必要な進路、ましてや文系の進路は絶望的でした。
理系の進路、特に工学部では、数学や物理などで点数が稼げる傾斜配点のシステムがありましたし、英語さえ並程度の点数で乗り切れば、まだいける見込みがありました。

ラジオ作ったりとか・・

そこに来て、小学生の頃からラジコンやミニ四駆にとどまらず、半田付けして色々工作をしており、なぜか抵抗のカラーコードを覚えているような子でしたので、機械いじりや電気関係にはもともと興味があったのです。

将来どんな仕事に就くか、学校の就職状況等、そんなことは全然気にもせず、とある大学の「超伝導」の実験に胸が躍りました。

宗教?哲学?

未だに不思議なのが「宗教ってさ、なんか面白いよね」と、なぜかこの頃幼なじみに漏らしていたようですが、僕は覚えていません。

「こいつ、ちょっとやべぇ」と思われていたにちがいありません。

きっかけがあったとすれば、高校3年でやった「倫理」のなかで、宗教や哲学に少しだけ触れ、死ぬほど嫌いだった社会科が、「2」から「3」に成績が上がったことくらいです。

ゼノンのパラドックスの話なんか聞いて、初めて学校の授業がちょっと面白いと思いました。

仏教とキリスト教の違いが分かりませんでした。(実は今でもこの命題から抜け出せていません)

なんか宗教って勉強したら面白いかもな・・と、そんな気になっていたことは記憶にあります。

大学に入った!

大学入試

現在の入試事情はよく分かりませんが、当時は北見工大、室蘭工大の前期日程では、センター試験の結果のみで入れました。

僕の受験生活は、成人式の頃にあるマークシートのテスト3科目で終わりました。私立なども一切受験していません。前期日程は記述式の二次試験もありませんでした。

自己採点の結果、模試ではいつも9割以上で一番自信があった数学が7割程度で死んだと思いました。
次に物理が1~4の大設問のうち、4番を丸々落とすという惨事に青ざめました。

しかし、数学が極端に難しい年で、平気点が異常に低かったということと、いつも4割程度の酷い点数だった英語が奇跡的に7割以上という幸運でした。

結局、先の超伝導実験の話とは近からず遠からずではありますが、めでたく北見工業大学の電気電子工学科というところに入れてもらえたわけです。

大学生のころ

親元を離れて生活するようになり、「オレは自由だ!」という異常な熱気が、毎日自分の中で燃えていました。

実にいろんなバイトやボランティア。友人と馬鹿もやり恋もして、それはそれは充実した学生生活に思えました。

黒歴史の始まりです

しかし、もともと学校の勉強がダメということからもすっかり開放されてしまい、単位をボロボロと落とし始めます。

面白い話にもならないので詳しくは書きませんが、あの頃は脳みそも、心も体も、壊れて腐っていました。

当時を思えば、この先、親の介護くらい当然引き受けなければいけません。

卒論のこと

その後、通常よりもかなり長居させてもらって、やっと卒業研究に就きました。

「高効率オゾナイザー」の研究をしていました。

いかに少ない電力で、効率よくオゾンを発生させるかという実験です。

年下の同級生達は、論文発表が近づくと、図書室で必死に文献を書き写していました。今で言う「コピペ論文」ですね。

僕はもともとそういう真面目な作業が苦手だったので、独自の切り口で、実に文字数の少ないフルオリジナルの資料を作って プレゼンテーションしました。

「さすが年の功、現役とは違うなっ」と、皮肉入りで褒められたことを覚えています。

「営業」との出会い

憧れの自分の車!

田舎でしたので、学生ながらに、そのうち中古のポンコツカーを手に入れました。当時付き合っていた彼女(後の奥様)は、釧路に住んでいましたので、北見から釧路までしょっちゅう走っていました。

ある日の釧路の帰り、夜の峠道のでの事です。
バッテリーの電圧がぐんぐん下がり、エンジンが止まってしまいました。セルも回りません。不幸中の幸いで、近くにあったパーキングエリアにまでは入ることができましたが、動かなくなってしました。

暗がりでボンネットを開けていると、一台の車が止まってくれました。

親切な社会人

カーセンサーという中古車雑誌の営業マンでした。
中古車屋を回って、雑誌掲載の交渉をするのが彼の仕事です。

「バッテリーか、オルタネーターだと思うけど、少し充電すればごまかして家までは帰れるんじゃない?」と、手際よく、ジャンプケーブルを繋いでくれました。

「ちょうど、話し相手が欲しいと思ってたんだ」と、バッテリーが回復するまでの間にしばらく雑談をしました。

「そうか、工大の電気科?じゃ、将来はエンジニア系だね」

そんな話をしたのを覚えています。

「でも、営業もね・・いやきついんだけどさ、一回はやってみるといいよ」

あまり意味が分かりませんでした。

「そうですかぁ・・アハハ」

この出会いが、後に大きな人生の方向転換に影響するとは、このときは思いもしません。

そして、卒業

それから、数ヶ月。
ずいぶん回り道しましたが、無事に大学を卒業しました。

社会人編は、次の記事に続きます。

お気軽にボタンを押して応援してください!(店主が喜びます!)
  • いいね! (13)
  • 興味深い (2)
  • 考えさせられる (0)
  • なるほど! (1)
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。