私が念珠屋になるまで・・改め その5

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近頃、人に会う度に「ブログ読んでますよ!あの続きは?」と言われることが多く、とても有り難いことです。

マーケティング的なブログのセオリーからすると、有名人でもない限り貴方自身のことを書いても誰も興味ないというのが教科書的なブログ運営です。

しかし、あえてやってみると、意外な反響があり嬉しい限りです。

* * *

紆余曲折ありながらも、。ふらふらと芯のない学生時代と20代を送り、とうとう「仏具の営業」という仕事にたどり着きました。
そこまでのお話しを読み返したい方はこちらをどうぞ。

その1(学生時代)
その2(プログラマー)
その3(介護の仕事と営業職さがし)
その4(仏具屋との縁あって)

その4で「後半戦に・・」、と書きましたが、その6で終わる気がしません・・

仏具店ではどんな仕事を?

通常の営業活動

営業職として入社していますので、いわゆる普通の営業らしいことからたくさん勉強させてもらいました。
電話でアポを取ってお客さんお寺をまわったり、飛び込み営業もたくさんやりました。

商談があれば見積書やプレゼンテーション用の資料を作ったりです。
自分は理系と思い込んでいたのですが、ここにきて意外と数字に弱いということに気付きます。
数字で自分の仕事を管理するというのは、数学が得意とはぜんぜん別な能力です。

今までは作業なりサービス提供をすることが仕事でしたので、僕にとって仕事とはやった分だけ成果物があるものでした。

しかし、初めての営業職で、評価されるのは数字という大人の社会を30歳目前にして始めて知ることになるのです。

頑張っても、頑張らなくても売ったものが勝ち。売上をたたき出せない者は、疲れた顔をしていても評価されません。

デザインの仕事

仏具屋というと、同級生からは「木魚とか売ってんの?」と言われたものです。たしかに、木魚もありましたが、割合で言うと浄土真宗のお客さんが多い会社でしたので、木魚はあまり売れません。(浄土真宗は、ポクポク叩かないのです。)

一般的には「仏具」の範疇に思われないですが、本堂のや仏間の改修工事、それと壁や襖に金紙や絵を描くのが得意な会社でした。

営業の傍ら、デザインの勉強もずいぶんしました。

もともと、フォトショップやイラストレーターは、いたずら程度に使えたのですが、本を買って勉強しながら、かなり本格的に使えるようになったのはこの頃からです。合わせて、設計図を書くためのCADも使えるようになりました。

ここで多くの日本絵画、仏画と出会いました。
実際に、プロの絵師と交流があったり、間近で仕事を見られたことは、今となっては貴重な財産です。

もともと絵心などなく、芸術には無頓着だったので、素直に感動することなどできませんでした。

そこで、仏教的な背景、ストーリーあっての美術という見方をするようになり、絵よりも仏教そのものにはまっていきました。

粉本主義

パクリ(?)アートへの疑念

仕事をしていて、どうしても腑に落ちないことがありました。

たくさんのお寺にて、ふすまや壁に絵を描くのですが、これらは基本的には模写になります。
新しいデザインといっても、いろんな絵の素材をファイリングして、フォトショップなどのソフトを使って、レイアウトし直したものです。

「これでは、ただのパクリではないのか?」という疑問がありましたが、著作権の観点からは作者の死後50年立てば問題ないとのこと。

いやいや、ルールー上、販売して問題ないかという疑問ではなく、アートとしてそんなに魅力的なものだろうかということを腹には抱えていました。

狩野派との出会い

日本絵画を嗜んだ人ならよくご存じだと思います。
狩野正信を祖師とした「狩野派」という、日本絵画史上、最大の画派があります。

室町時代~江戸時代末期まで400年も続いたといいます。
彼らがどうやって、これだけのプロ絵師集団のクオリティを維持したか不思議だと思いませんか。

粉本(ふんぽん)というデータストック

インターネット上で「狩野派 粉本」等と検索すると情報は山のように出てくると思います。

粉本とは何か、一言でいうと、過去に先達が残した絵、勉強した絵を、オブジェクトごとに模写して、どんどん増やしていきます。
絵の注文が入ると、書きためた絵の中から適当なものを選び組み合わせて、注文に合う絵を描き直すのです。

そのようなスタイルで書かれた「粉本主義」というのは、芸術の世界では批判の意味で使われることもあります。

しかし、その事実を知って衝撃的でした。

毎日フォトショップ上でやっていることは、まさに狩野派の粉本を増やすこと、そして粉本から商品を生むことと、まったく変わらないということに気付いたのです。

狩野派の粉本は、たくさんの絵師に対して、マニュアル化された技法で高いクオリティを維持できるという、とんでもないブランド戦略だったのです。

「データは財産」、そして、「組み合わせから生まれるクリエイティブ」という感覚が、自分の中に新しく根付いたのでした。

報恩講(ほうおんこう)

報恩講ってなんだ?

営業先は浄土真宗のお寺が多かったのです。

「うちは9月が報恩講だから間に合わせてね」、「しばらく報恩講でバタバタするので、来月以降にしようか」などと、住職さんの口から頻繁に出るキーワードでした。

報恩講とは何かおたずねすると、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の法事だということでした。両祖忌、お十夜、お会式等、各宗派に似た法要があります。

はじめての報恩講参詣

あるとき、お寺の奥さんに、「こういう仕事してるなら、お世話になったお寺の報恩講にでもお参りしてみるといいわよ」と教えていただきました。

「僕らのような部外者でもお参りしても良いんですか?」と聞きました。

それはどこのお寺でも歓迎されることだということを、みなさんにもお伝えしておきます。(急に行くとビックリされる場合もあるので、初めて行くお寺には事前にお参りしたい旨を電話してみるなど、多少のコミュニケーションがあった方がスムーズだとは思います。)

こうして、「仕事の付き合い」というきっかけで法要に行ってみる機会がありました。

お経の赤い本を持たされましたので、分からないなりに真似事で読んでみました。

法話を体験

そして「法話」の時間もありました。

修学旅行の時に薬師寺で聞いた法話というのがとても面白かった記憶がありましたが、あれは観光用だと思っていました。
たしかにそういう側面もあるのでしょうが、一般のお寺で語られている法話も、とても興味深いものでした。

お参りのおばさん達が大笑いするような話、涙が出るような話、唸るような難しい話、色々でしたが、身近にこんな世界があったのに、何も知らなかったのです。

仏教って、お葬式とか先祖の供養とかするものだと思っていた世界とはまるで別物でした。

こうしてますます、仏教に魅せられていきます。

違和感

営業の本と仏教の本

仏具の会社に入社して3年、4年、それはそれは、語りきれない程いろいろなことがあり、失敗も勉強もたくさんさせてもらいながら、怒られて、褒められて、仕事を続けていました。

報恩講にお参りするという回数も徐々に増えてきた頃、反比例するように違和感を感じていました。

いい年して営業としてはド素人でしたので、社長は「営業の本を読みなさい」とよく言っていました。
勉強になるし、なによりモチベーションの維持ができるというのがその理由です。

ところが、僕が読みたいのはどちらかというと仏教書だったのです。時々営業関係の本を読みかけては、やっぱり仏教書の方が面白いという時期がありました。

新しい発見をしては、また仕事でデザインなどに生かせるわけですから、それはそれで悪いことではなかったのですが・・・

しかし、営業とは数字でしか評価されない厳しい世界です。
いくら知識を蓄えても、売ってこないことには、会社での風当たりは強くなる一方です。
実際のところ、僕の営業成績は酷いものでした。

暇を見つけては通っていた報恩講参拝も、売り上げにい繋がらないのであれば、意味が無いということで行けなくなってしまいました。

地獄・餓鬼・畜生

デザインの面では少しは会社に貢献できたのかもしれませんが、営業としては全くダメした。
ですから、日頃から営業マンとしての心構えは、耳にタコができるほどたたき込まれたものです。

「長岡は自分にも客にも甘い。鬼になりなさい。」
「これでいいなんて満足しちゃだめだ。つねにハングリーであれ。」
「恥ずかしいなんて思うな。当たって砕けろ。恥を捨てろ。」

営業職を経験した人なら、だれでも言われたことがあるような言葉ではないでしょうか。
その通りだと思ったし、そうなれないから、いつになっても会社の売上に貢献できないと思いました。

仏教には三悪道(三悪趣ともいう)というのがあります。(ここでは詳しい説明は省きます。)

営業マンとはどういう生き方か。
人間であることを捨て、鬼となり、足るを知らず、恥を捨てる世界。それは他ならぬ、地獄、餓鬼、畜生として生きよということなのだ・・
当時は、そのように感じてしまいました。(現在、営業職を頑張っている方、ごめんなさい。あくまで当時の気持ちであって。今では本当の営業の意味を理解しているつもりです。)

営業という体質上、最後は「金が欲しくないのか?」というのが究極の目的になりがちです。
誰かに、そう問われたわけではありません。自分では全ての問題がそこに収束してしまったのです。

会社が嫌い、営業が辛いということではなく、自分が人として進むべき道と仕事を頑張ることが一致していないというストレスに心身共に耐えきれなくなっていきました。

その結果、僕が出した結論は、「金など要らぬ。死ぬ気も無い。逃げるしかない。」でした。

やりかけのプロジェクトも抱えたまま、会社にも関わっていたお寺にも多大な迷惑を掛けながら、「辞めさせてください。エネルギー切れです。」と言ったことを、よく覚えています。

「営業」という希望の終焉

学生時代に合った営業マンのお兄さん、プログラマー時代の営業部長、そして、仏具屋の社長。

おかげで、絶対に自分が通るはずのなかった、営業という世界を経験しました。

「営業」で自分は変れるかもしれないと思った一筋の希望の光は、ここで終焉を迎えます。

* * *

このときの情報を整理しましょう。

時は2009年の秋。

江別に、今住んでいる家を建て、すでに長男も生まれていました。

辞めるつもりでいたわけでもないので、さほど蓄えがあったわけでもありません。
次の仕事のあてがあったわけでもありません。

もともと贅沢三昧していたわけでもないので、毎月の生活費を節約と言ってもさほど変えられません。
すぐに、住宅ローンのボーナス払いなんていう大変なイベントもありました。
自己都合で辞めていますので、失業保険は三ヶ月後にならないともらえません。

金は要らぬと逃げた結果、結局世の中、お金でしか解決出来ないことばかりという現実をたたきつけられます。

なんとか年を越して、北海道神宮へ初詣に行ってみました。

参道の帰り道、「神さまに何をお願いしたの?」と奥さんに聞かれました。

「別に・・。みんな元気だったらいいなぁ・・って。そっちは?」

「同じ。」

2010年はそんなスタートでした。

その6では、いよいよ念珠を売る話。
どうぞお楽しみに。

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