店主

私が念珠屋になるまで・・改め その6

この、自分史徒然も「その6」となりました。
なるべく話を膨らまさないように、念珠屋になるまでに直接影響した部分のみを書くようにしていますが、振り返ると、こんなにも様々なことがご縁となっていたことに改めて気付きます。

続きを読む

お気軽にボタンを押して応援してください!(店主が喜びます!)
  • いいね! (7)
  • 興味深い (8)
  • 考えさせられる (1)
  • なるほど! (1)

私が念珠屋になるまで・・改め その5

近頃、人に会う度に「ブログ読んでますよ!あの続きは?」と言われることが多く、とても有り難いことです。

マーケティング的なブログのセオリーからすると、有名人でもない限り貴方自身のことを書いても誰も興味ないというのが教科書的なブログ運営です。

しかし、あえてやってみると、意外な反響があり嬉しい限りです。

続きを読む

お気軽にボタンを押して応援してください!(店主が喜びます!)
  • いいね! (12)
  • 興味深い (2)
  • 考えさせられる (2)
  • なるほど! (0)

私が念珠屋になるまで・・改め その4

どうしようもない学生時代を経て、転職を繰り返す20代も終盤にさしかかったころ、「営業職」を探し始め、偶然みつけたのが仏具の営業でした。

札幌時計台からほど近いビル、雪深い季節でした。

続きを読む

お気軽にボタンを押して応援してください!(店主が喜びます!)
  • いいね! (13)
  • 興味深い (11)
  • 考えさせられる (0)
  • なるほど! (2)

私が念珠屋になるまで・・改め その3

僕がどうやって念珠屋になったのか、その経緯を徒然書いています。

なんとなく過ごした高校時代。
一人暮らしの自由さに、気ままに遊びまくった大学時代。
そして、就職するも、社会の厳しさに心折れた20代。

遡ってお読みになりたい方は、その1その2もご覧ください。

この記事では、いよいよ仏教との出遇いに近づきます。

人間らしく生きたい

20代の後半にして、どたばたと会社を辞めてしまいました。

会社員としての自分を振り返ると、つらくて逃げたのは事実ではありますが、当時はまだまだ勢いもあり、挫折とは違う感覚でした。

エンジニア道

「会社が悪い」ということが一番の理由なら別な会社に入れば良いことです。
しかし、「業界全体がだめだ、社会が狂ってる」などと、勝手に妄想が広がってしまいました。

「じゃあ、どうしたいの?」とシンプルに自分自身に問い直してみました。

パーティションに囲まれて、一日中会話もせずにパソコンに向かっているのは耐えられない。黙々作業するなんて無理だ・・

色々、不満とか辛いこととかあったわけですが、要するにそういうことです。

(それって、大抵の技術職ダメですよね。)

なんとなく小さい頃から国語より算数の方が得意だったというだけで、工学部に進み、エンジニアに進む道しか自分では想像していませんでした。その末路が当時の僕の姿でした。

最初の方向転換

人とかかわる仕事がしたい!

かつて、ちょっとは憧れた幼稚園や学校の先生という道は、結婚して無職の青年が今から目指すには難しすぎました。

その頃、介護施設が乱立している時期で、介護職の募集が新聞の求人記事を埋めていました。

これだ!と思った僕は、少ない蓄えの中から費用を用立ててもらい、ホームヘルパー2級の資格を取りました。(現在は、「介護職員初任者研修」という名前に変わっています )

介護の世界へ

資格を取ると同時に、就職活動を始めたのですが、ここである問題にぶつかりました。

ちょうどこの頃、男女雇用機会均等法が改められ、求人広告に性別が書いてありませんでした。(現状、詳しいルールはわかりません)

圧倒的に女性の職場である介護の現場では、電話をした時点で「ごめんなさい、男性はちょっと・・」と断られます。

これは予想外でした。まったく無駄なルールが出来たものです。それなら、はっきり「女性募集」と書くべきです。

それでも、数打ちゃ当たるで、中には「男性を探してました」という施設もありました。

一発で採用していただき、すぐに第一線で働き始めました。

しかも、働き始めて早々、いずれは事業所の後継者ということも考えたいという話までされました。

それはそれは、学ぶことの多い仕事でした。

前職とはあまりに違う環境で、出社から退社まで一日中、利用者さんとも、職員とも話をしなければならないのです。

給料に関しては、ずいぶん下がってしまいましたが、それはもともと分かっていたことでしたし、お金と引き換えに人間らしさまで奪われるのはもう嫌でした。

思わぬ落とし穴

仕事自体は毎日楽しく、本当にやりがいもあり、これが天職だったんだなくらいに思っていました。

しかし、2ヶ月目にして大変な事に気付きました。

前職でそれなりにもらっていたものですから、税金が一気にきてしまったのです。

税金をまともに払うと、とても生活できないような金額(一桁万円)しか手元に残らないのです。

国保にすると扶養というのもなく、退職後の任意継続等ということも当時は勉強不足で知りませんでした。(新社会人のくせに退職の仕方を勉強しているひとなんていませんが・・)

社長にも相談したのですが、もともと給料もある程度優遇され、手取りが増えるように時間外の仕事もなるべく優先して入れてくれるという配慮は、すでにしてくれていました。

「これから伸びる市場ではあるけど、政府の財源が決まっているから、それに合わせてしか事業を拡大できない」ということもよく理解できました。

一人なら腹を空かせながら頑張るか、というくらいの話ですが、なんせ新婚だったもので、将来的にも家族を養う収入が見込めないというのは、続けるのが難しいという判断でした。

3ヶ月は研修期間ということでした。

正職員として迎えてもらってからではさらに迷惑を掛けてしまいますので、事情を話しすぐに辞めることにしました。

新婚プータロー

「プータロー」ってたぶん平成生まれには通じない言葉ですね。

新婚間もないというのに、ここに数ヶ月、職歴のない期間があります。

新妻は仕事へ出かけ、僕はすぐに仕事には就けず・・・。

とりあえず無難に働けそうな会社をいくつか面接を受けてみたのの、留年した上に、ころころ仕事を変えている人なんて、危険因子でしかありません。

平日の昼間に庭の草むしりをしていると、「あれ、もう盆休みに入ったのかい?」と向のおじさんに声をかけられると心苦しかったです。

その頃は急激にネットマーケットも拡大していましたので、「ネットで何か売れないだろうか」なんてちょっとイタズラしてみたこともあります。

日本の雑貨をアメリカのeBayで売るということも試しました。いくつか売れてこれはいけるかもと思ったのですが、面倒なクレーマーに当たってしまい、すぐに続けられなくなりました。

自分で商売を起すというのは、とても難しいことだと知りました。

営業への道

結局、自分は何ができるのかわからなくなりました。

技術職もだめ、事務職もだめ、人と関わる仕事がしたいと言っても、介護の業界では家族を養っていけない。

走馬灯のように今まであった人、心に残った言葉、こんな風になりたい・・が頭にうかびました。

それらが、ピーンと一筋に並んだときに浮かんだ言葉が「営業」でした。

今まで求人誌でも、絶対にあり得ないと思って読み飛ばしていた「営業職」の欄を徹底的に探し始めました。

未経験歓迎、好待遇、給料も努力次第で桁違い、実績の無いプータローにとっては、とても魅力的に見えたのでした。

チョコレート屋、外車ディーラー、宝石屋、パソコンショップ・・次々と面接を受けました。

今までとは違い「やる気さえあれば」ということで、過去の悪さも水に流してくれることも営業職の魅力でした。

営業職ということで、初めて「圧迫面接」というのも経験しましたが、もともと気に入らない上司にケンカを仕掛けてしまうようなタイプでしたので、ケンカ上等の対応で見事採用をいただきました。

そんなことも2社ありましたが、あなたの元では働きたくないという理由で、どちらも辞退しました。

仏具の営業だって?

そうこうしているうちに、求人誌で目に飛び込んできたのが「仏具の営業」だったのです。

営業自体が経験無いけど、何をどう売っているのかも全然わかりません。

失敗を重ねすぎて、さすがに慎重になっていました。
職安でも検索してみると、やはりその会社がでてきて、ホームページも簡単なものでしたが、なかなか興味深いです。

いけるだろうと思っていたことが、全て失敗してきた自分にとって、何も分からないと言うことは、逆に救いになっていたのかもしれません。

とうとう、その仏具店に履歴書を送りました。

「仏教」との直接的なご縁が始まったのはまさにここからです。

次の記事では、仏具の営業マンとしての経験を書きたいと思います。

お気軽にボタンを押して応援してください!(店主が喜びます!)
  • いいね! (6)
  • 興味深い (2)
  • 考えさせられる (2)
  • なるほど! (0)

私が念珠屋になるまで・・改め その2

僕がどうやって念珠屋になったのか、その経緯を徒然書いています。
2回目になるこの記事では、社会人になった20代半ばくらいまでの話です。

学生時代のエピソードを読みたいというもの好きな方は、こちらもご覧ください。

就職活動の話

当時の就職事情

僕がずいぶん大学に長居して卒業するころ。

当時すでに「長引く不況」という言葉が当たり前のようにささやかれ、いわゆる就職氷河期と呼ばれている時代でした。

それでも、一応、国立の工業大学ということもあり、学校への求人や推薦枠も多く、就職率は100%を誇っていました。

理想の就職

給料は最低これくらい、福利厚生がしっかりしていて、ある程度安定した会社、なおかつ夢のある理念を持っている会社がいいな・・・

当時は、そんな甘えた思考で求人案内をめくっていました。

(いつかタイムマシーンが出来たら、過去に戻って、当時の自分を後ろから蹴ってやろうと思っています。蹴られた記憶はないので、タイムマシーンは僕が生きているうちには実現しません。)

ここでもへそ曲がりを発揮し、反骨精神のような変なプライドがありました。
大学のコネには頼りたくないという考えでした。

ほとんどの学生は、大学に案内がくる企業説明会や求人の中から選んでいました。
しかし、僕の場合は、求人誌で見つけた企業に、教授の推薦などを乞わず個人的に応募しました。

就職指導のようなものも、結局は「大学の名に泥を塗るな」という話に思えて、出席しませんでした。

大学受験同様、掛け持ち応募などせず、1点張りというスタイルを貫きました。

浪人と留年

浪人や留年を経験すると、社会人になるのがそれだけ遅れます。
どちらも似たようなもんだと思うかもしれませんが、実は天地ほど違います。

「浪人」は、夢を実現するために、目指した学校に入りたくてするものです。
「留年」は、何かしらの問題があり、必要単位が取得出来なかったからするものです。

やる気の無い浪人や、やむを得ない事情があっての留年もありますが、一般的にはそのように見られてしまいます。

つまり、同じ年数でも、浪人はさほど将来に響きませんが、留年をすると就職には圧倒的に不利なのです。

ある会社に応募して・・

札幌で行われた企業説明会で、とても興味を持った会社がありました。
システム開発の会社です。

履歴書にその思いを綴り、面接を受けました。

部長以上の取締役数名の面接でしたが、履歴書の年齢や入学年が他の新卒と違う事に気付き「あれ?留年してるの?」と訊かれました。
当然、想定内の質問です。

そこから長々と、自分がやってきた悪事、怠惰な学生生活を語りました。
「それでも、こんなに魅力的なオレを受け入れてくれない会社ならこっちから願い下げ」という、20代半ばにして完全に「中二病」な自分でありました。

「・・・という事なんですが、どうでしょうか?」

と、逆に問い返したところ、

「普通は留年の理由を詮索しなきゃいけないんだけど、そんなにしゃべられたら、もう聞くことないよねっ!」と、取締役一同、大笑いされたのを覚えています。

そして、めでたく採用。
素晴らしい会社だと思いました。

社会人生活スタート

社会の厳しさに出鼻をくじかれて・・

実際に入社して見ると、短期間のうちにイメージは一転。
たしかに、素晴らしいところもたくさんあったのですが、今で言う「ブラック企業」とも言える雰囲気も多くありました。

きつい環境でも、長居した大学よりは長く居てやろうと決意し、入社から丸1年たった春に釧路の彼女を札幌に呼び寄せ、結婚しました。

しかし、結婚して数ヶ月、その決意も社会人2年目であっさり心折れます。

大学2年目といえば、まだ自分のアホさにも気付いていない頃なのに、社会人とはなんて厳しいんだと思いました。

しかも、静かに辞めれば良いものを、環境改善を訴え、上司に悪態ついて、「社長室へ来なさい」と内線で呼ばれる様なこともありました。

営業へのスカウト

プログラマーという立場だったのですが、辞めると言い出してから、「色々問題はあるが、その交渉力、行動力は買う物がある。営業に移らないか?」という営業部長からのスカウトがありました。

「10年後を想像してみろ?」と部長に言われました。

「その頃、どれくらいの収入があるかわかりませんが、子どももいるのかな・・・毎晩こんな夜中まで仕事しないで、家族で夕食を囲えるようになりたいと思ってますよ」そう答えました。

「みんなそう言うんだよ!でも、現実は違うぞ。子どもだって、すぐに相手にしてくれなくなる。うちの会社でしっかり稼いで、家族にはちゃんと金渡して、自分も好きなことしたらいいんだよ!」

部長。相変わらず毎晩、夜中まで仕事をしていますが、家族と夕食は囲えるようにはなりました。
やっぱり僕は、好きなように生きています。

でも、心のどこかに、「営業か・・」という気持ちは残った出来事でした。

退職

しばらくの間、退職願は一時保留となっておりましたが、「与えられた仕事が不満なのではなく、この会社に愛想が尽きました」と、今思えば、これまたずいぶん酷いことを言って受理していただきました。

次の記事では、いよいよ、仏教との出遇いに近づくところまで書きたいと思っています。

お気軽にボタンを押して応援してください!(店主が喜びます!)
  • いいね! (11)
  • 興味深い (2)
  • 考えさせられる (2)
  • なるほど! (0)

私が念珠屋になるまで・・改め その1

改めてご縁を振り返ってみよう

以前は、「まさかオマエが念珠屋になるなんてね」と言われていた時代がありました。
5,6年前は「どういう経緯で念珠屋になったんですか?」と聞かれることが多かったです。

最近では、すっかり念珠屋のイメージが定着したのか、とくに疑問に思われることもありません。

急に自分自身を振り返ってみたくなりました。

もちろん、ここに書いたとがご縁の全てではありませんが、今の自分に少なからず影響を与えたなと思えることを長々と綴ってみようと思います。

ご興味がある方は、以下お読みください。

続きを読む

お気軽にボタンを押して応援してください!(店主が喜びます!)
  • いいね! (15)
  • 興味深い (4)
  • 考えさせられる (1)
  • なるほど! (1)