平玉念珠はなぜ“違法”とされたのか――天台宗と他宗派の視点から探る形の意味

↑略式念珠で、平玉を使った例 「黒檀平玉 虎目石仕立」 天台宗の平玉念珠とは 宗派による念珠の違い 念珠も各宗派ごとに特徴のある形が用いられていますが、なかでも天台宗の形で目を引くのは、玉が丸ではなく、ボタンのような形状の「平玉」と呼ばれる形を使う点です。 なぜ平玉なのか、どのように成立したのかを調べても、決定的な文献などは見つかっていません。(もし、情報をお持ちの方がいらっしゃったら、よほどの念珠マニアとお見受けします。ぜひ情報共有していきましょう。) 現代では、天台宗の本式は平玉を使った念珠が標準になっており、その他では、浄土宗型の一部、略式では意味に囚われずにカジュアルに平玉が使われています。 天台宗で平玉が定着した歴史を探るのは難しいので、背理法的に、「平玉は違法」とする考えをここでは掘り下げて見たいと思います。 平玉の形状と苛高念珠との比較 平玉に近い形として思いつくものには、修験道で使われる苛高(イラタカ)念珠があります。刺高と書く場合もあります。しかし、これは同一のものではなく、刺高は皆さんの想像できる形で言うと、まさしくソロバンの珠にそっくりで、横から見ると菱形に近い形です。玉の穴から頂点に向かう面は直線的で、厚みもあります。 一方、天台の平玉というのは、冒頭で喩えたように、洋服に使うボタンのような形状で、穴から頂点に向かって緩いカーブがあり、「玉」と呼ぶにはあまりに薄い形状をしています。 平安・鎌倉時代の記録と浄土門との関係 平安時代から鎌倉時代にかけての肖像画などを見ても、平玉の念珠は確認されていません。中世の情報は少ないのですが、平玉の念珠が比叡山で定着したのは、意外と歴史が浅く、中世~近代のことではないかと考えています。 ただ、後述しますが、法然上人の時代に、師匠である叡空上人から平玉の念珠をもらったという記録があり、平玉念珠の存在自体は平安後期にはあったことがわかります。これが一般的だったのか、極めて特殊なものだったのかは定かではありません。 平玉念珠はなぜ「違法」とされたのか 伊藤古鑑師の見解と宗派的バイアス 念珠に関する情報がまとまった文献というのは歴代数冊しかないのですが、研究者の中でもかなり情報量が多いのが、『合掌と念珠の話』(伊藤古鑑 1890~1972)という本です。この中で、「平形の念珠は違法」という項があるくらい、同師も、念珠の玉は丸であるべきで、いたずらに新奇なものを作るべきではないと主張しています。 ここで、もう少し踏み込んで考察してみます。 まず、伊藤古鑑師は禅宗畑である経歴を考えると、宗派的には念珠に関してフラットに見ていると言っても良いかと思います。これは重要なことで、念珠の研究をしている過去の先生たちも、やはり宗派の目線ということを無視することはできません。自分の宗派については理屈なくこういうものだと信じていることがあるし、他宗派の数珠の形については、一部の少ない情報を極めて一般化して考察していることがよくあります。 権田雷斧師の記述と日蓮聖人の引用 「平形の念珠は違法」と語る根拠としている文献が、『十八道私記傳授私記』(権田雷斧 1847~1934)になります。念珠のことを調べ始めると、権田雷斧師も必ず通る道ですが、こちらは、いくつかの宗派を転々として最終的に豊山派管長にまでなった人です。 その過程で天台宗を学んでいた時期もあり、おそらく平玉の念珠を実際に手にしていたか、少なくとも身近に見ていたことが想像されます。 ここで心に留めておきたいのは、権田雷斧師には真言密教の目線で発言している傾向があるということです。 豊山大学学長だった頃に書かれた『十八道私記傳授私記』をさらに詳しく読んでみると、日蓮聖人(文中では日蓮上人と表記)の御遺文で勢至菩薩経について書いた部分をさらに引用して、「人をも悪道に堕とさん料に、天狗外道平形の念珠を作り出して、一遍の念佛に十の珠数を超えたり」という説明があります。 日蓮聖人が比叡山で平玉念珠を見たかどうかはわかりません。ただ、その少し前に法然上人が平玉の念珠を持っていたという記録があるため、すでに比叡山では平玉の念珠が使われていた可能性はあります。 ここまでの話を連続して考えて、おさらいしてみましょう。 念仏を多く数えたふり?という否定的見解 平安時代の後期にはおそらく平玉の念珠はあった。庶民が念珠を持つ時代ではなく、比叡山の中でもそれがどれくらい普及していたかは定かではない。日蓮聖人や権田雷斧師が平玉念珠の実物を見ていたかどうかは別として、 少なくともその存在を否定的に考えていた。その理由は、丸玉ではなく平玉にすることで、念仏をまとめてたくさん数えたふりをする行為、つまり修行をサボるための工夫だと見ていた。 ↑略式念珠で、平玉を使った例 「紫檀平玉 瑪瑙仕立」 平玉念珠をめぐる宗派間の対立とその影響 比叡山内部の思想と平玉念珠の位置づけ 比叡山の中で、どの時期からどのように普及したかは未だに記録が見つけられていませんが、日蓮宗や真言宗の目線からすると、平玉の念珠は良くないとされていたことがわかります。さらに、権田雷斧師や伊藤古鑑師が近代にまとめて書物を残した影響は大きく、現代に喩えるならば、影響力のあるインフルエンサーが「平玉の念珠は違法!」と投稿したことが長年バズっているような状況です。 伊藤古鑑師は、先述した法然上人の影響で、浄土門では平玉を使う者がいるとも書いていますが、浄土宗で平玉といえば、梵天の記子に平玉を10枚入れる習慣が残っています。これは、丸玉10、平玉20で(「とうにじゅう」とも呼ばれる)足を作る天台宗型念珠の省略型と考えるのが自然です。 首にかける念珠と同様の議論 話が大きくそれるかもしれませんが、これとよく似た議論に、念珠を首にかけるという行為があります。別の記事で深掘りしてみたいですが、経典には首にかけるという使い方が書かれていることもあります。天台僧侶が首にかけている様子は見かけることがありますが、他宗派では違法とされて居ることが多いです。 つまり、平玉の念珠と同じように、比叡山を離れた人は、念珠を首にかけることを嫌ったと考えるのが自然です。 「違法」認定の背景にある宗派的影響力 平玉の念珠についても同様に、伝教大師以降、比叡山の中でも思想の違いなどでいくつも派閥があり、それを象徴するものとして平玉の念珠を使う一派が天台宗の本流として比叡山に残り、それを嫌って山を下りた人たちの方が声が大きく、「平玉の念珠は違法」と声高に主張したことが、現代に伝わっているのではないかというのが、私の想像も大いに含めた考察になります。 参考: 『十八道私記傳授私記』

4月 3, 2025 · 1 分