数珠?念珠?珠数?

「数珠?念珠?珠数?」〜呼び方の違いと、私たちが「念珠店」にした理由〜 この記事では、よくいただくご質問についてお話ししたいと思います。 「数珠と念珠って、どう違うんですか?」 「“珠数”という言葉もあるけれど、どれが正しいんでしょうか?」 そして、「どうして“念珠店”という名前にしたのですか?」といった、ちょっとした疑問が実は奥深いお話につながっています。 これらの言葉は、どれも馴染みのある方には違和感がないものですが、初めて聞いた方にとっては「そもそも何のこと?」という印象を持たれることも少なくありません。 そこで今回は、「念珠」という言葉を中心に、その背景や意味の違い、そして店名に込めた想いについて、丁寧にお話しさせていただきます。 「念珠」では伝わらないことも 初めて会う方に、「お仕事は何をしているんですか?」と聞かれることがあります。 私が「念珠を扱う仕事をしています」と答えると、ほとんどの方が「えっ、念珠って何?」と驚かれます。これはもう、ほぼ毎回のことです。 最初の頃は、「そんな珍しい仕事をしているの?」という意味かと思っていたのですが、どうやらそれだけではないようです。「念珠(ねんじゅ)」という言葉そのものが、知られていないことが多いのです。 ある春の日、郵便局で荷物を出す際、品名に「念珠」と書いたところ、新人の窓口係の方から「中身は何ですか?」と聞かれました。そこで「数珠と言った方が分かりやすいですか?」とたずねても、「はい?」というような反応。 どうやら、数珠そのものを知らないという方も一定数いらっしゃるようです。 宗教や文化の違いはあるにせよ、数珠や念珠は、日本の文化や仏教に深く根ざしたものです。そう考えると、もう少し広く認識されていてもよいのではないかと、少し寂しい気持ちになることもあります。 数珠と念珠の違いについて さて、「数珠」と「念珠」という言葉。どちらも見たことがあるという方は多いと思いますが、このふたつ、実は「同じもの」を指しています。 呼び方が違うだけで、使い方や形に違いはありません。 ただ、宗派や地域によって、どちらの呼び方を好むかには少し傾向が見られます。 例えば、禅宗では「数珠」と呼ぶことが多い印象があります。一方で、真言宗など密教系の経典には「念珠」という表記がよく見られ、高野山にあるお店でも「念珠」の表現を用いることが一般的なようです。 浄土真宗では、本願寺派では「念珠」と呼ばれる方が多く、大谷派では「数珠」と言われることが多いように感じます。これは私の個人的な印象に過ぎませんが、宗派による使い分けの習慣は確かにあるようです。 また、日蓮宗の方々は「数珠」という言い方が主流です。ただし、文章などでは「数珠(念珠)」と表記されることもあり、「念珠」への配慮が感じられます。 歴史的には、日蓮聖人が「念珠」を使っていたという説もありますが、有名な日本刀「数珠丸(じゅずまる)」のように、「数珠」という呼び名も昔から使われていたようです。 地域的には、東日本では「数珠」の呼び方が多く、西日本では「数珠」と「念珠」が半々くらい。私の住む北海道は東日本の文化圏に近いためか、「数珠」が優勢という傾向が見られます。 「数珠」と「珠数」の違いについて さらにもう一つ、似ているようで混乱を招きやすいのが「珠数(じゅず)」という表現です。 こちらも読み方は「じゅず」。ただ、漢字の順番が「珠」と「数」で逆になっています。 どちらが正しいのか、という問いには明確な答えがありません。というのも、昔から両方の表記が使われてきたからです。 例えば、京都の老舗の数珠業者の間では「珠数」の表記が一般的です。これにより、「珠数こそが正しい」と主張される方もいらっしゃいます。 しかし、一般的な日本語入力ソフトで「じゅず」と入力すると、まず変換候補として出てくるのは「数珠」です。それだけ現代では「数珠」の表記が広く受け入れられているということかもしれません。 100年以上前の仏教解説書を読んだことがあるのですが、そこには「経典には数珠とあるが、商人の袋には御珠数と書いてある」といった記述がありました。つまり、仏教の教義と商習慣でも違いがあったということです。 今でこそ、私たちも業者もお寺の住職様も仲よく同じ目線でお仕事をさせてもらっていますが、かつての仏具・法具業界では、僧侶を立てるための「遠慮」の文化もあり、商人が謙る意味で、「数珠」を「珠数」逆にしていたという説も聞いたことがあります。 また、最近のちょっとした発見として、私の使っているATOKという日本語入力ソフトでは、「じゅずや(じゅず屋)」と入力すると、「珠数屋」という表記が先に出てきました。なかなか興味深いですね。 では、どれが正しいのか? ここまで読んでくださった方は、「結局どの呼び方が正解なの?」と思われるかもしれません。 その答えは、「どれも間違いではない」ということです。 「数珠」「念珠」「珠数」。これらはすべて、同じものを指しており、明確に正しい・間違っているという線引きは存在しません。宗派や地域、あるいは個人の慣れ親しんだ言い方によって、どれを使っても構わないのです。 100年以上も前からこの曖昧さが続いているというのも、日本文化の一面をよく表しているように思います。正解が一つでない、というのは、ある意味でとても豊かなことではないでしょうか。 「長岡念珠店」と名乗る理由 最後に、私たちの店名について少しだけご説明させていただきます。 なぜ「長岡念珠店」なのか。「長岡数珠店」や「長岡珠数店」ではなく、あえて「念珠店」とした理由は、実はそれほど特別なものではありません。 創業当時、支えてくださった方々が「念珠」と呼ぶ方が多かったということ、そして、「数珠」にはどうしても「数える道具」としてのイメージが強くあるため、より人の祈りや心を感じさせる「念珠」という言葉を選びました。 また、仏具関係の会社では、「●●堂」という名前も多いです。「堂」ではなく「店」としたのも、荘厳さよりも、お客様に近い親しみやすさを大切にしたかったからです。「長岡念珠堂」と誤記されることもありますが、私たちはあくまで「長岡念珠店」です。 これからもこの名前と共に、皆さまの祈りに寄り添う存在でありたいと思っています。 おわりに 呼び方一つをとっても、その背後には多くの歴史や文化、宗派の考え方があり、学べば学ぶほど興味深い世界が広がっています。 「正解が一つではない」ということは、時に不安を生むこともありますが、それ以上に「どれも大切にされている」という事実に目を向けると、心が温かくなる気がします。 今後も、このような文化や言葉の違いに目を向けながら、皆さまと一緒に「祈りの道具」としての念珠の魅力を深めていけたら嬉しいです。

4月 15, 2025 · 1 分

平玉念珠はなぜ“違法”とされたのか――天台宗と他宗派の視点から探る形の意味

↑略式念珠で、平玉を使った例 「黒檀平玉 虎目石仕立」 天台宗の平玉念珠とは 宗派による念珠の違い 念珠も各宗派ごとに特徴のある形が用いられていますが、なかでも天台宗の形で目を引くのは、玉が丸ではなく、ボタンのような形状の「平玉」と呼ばれる形を使う点です。 なぜ平玉なのか、どのように成立したのかを調べても、決定的な文献などは見つかっていません。(もし、情報をお持ちの方がいらっしゃったら、よほどの念珠マニアとお見受けします。ぜひ情報共有していきましょう。) 現代では、天台宗の本式は平玉を使った念珠が標準になっており、その他では、浄土宗型の一部、略式では意味に囚われずにカジュアルに平玉が使われています。 天台宗で平玉が定着した歴史を探るのは難しいので、背理法的に、「平玉は違法」とする考えをここでは掘り下げて見たいと思います。 平玉の形状と苛高念珠との比較 平玉に近い形として思いつくものには、修験道で使われる苛高(イラタカ)念珠があります。刺高と書く場合もあります。しかし、これは同一のものではなく、刺高は皆さんの想像できる形で言うと、まさしくソロバンの珠にそっくりで、横から見ると菱形に近い形です。玉の穴から頂点に向かう面は直線的で、厚みもあります。 一方、天台の平玉というのは、冒頭で喩えたように、洋服に使うボタンのような形状で、穴から頂点に向かって緩いカーブがあり、「玉」と呼ぶにはあまりに薄い形状をしています。 平安・鎌倉時代の記録と浄土門との関係 平安時代から鎌倉時代にかけての肖像画などを見ても、平玉の念珠は確認されていません。中世の情報は少ないのですが、平玉の念珠が比叡山で定着したのは、意外と歴史が浅く、中世~近代のことではないかと考えています。 ただ、後述しますが、法然上人の時代に、師匠である叡空上人から平玉の念珠をもらったという記録があり、平玉念珠の存在自体は平安後期にはあったことがわかります。これが一般的だったのか、極めて特殊なものだったのかは定かではありません。 平玉念珠はなぜ「違法」とされたのか 伊藤古鑑師の見解と宗派的バイアス 念珠に関する情報がまとまった文献というのは歴代数冊しかないのですが、研究者の中でもかなり情報量が多いのが、『合掌と念珠の話』(伊藤古鑑 1890~1972)という本です。この中で、「平形の念珠は違法」という項があるくらい、同師も、念珠の玉は丸であるべきで、いたずらに新奇なものを作るべきではないと主張しています。 ここで、もう少し踏み込んで考察してみます。 まず、伊藤古鑑師は禅宗畑である経歴を考えると、宗派的には念珠に関してフラットに見ていると言っても良いかと思います。これは重要なことで、念珠の研究をしている過去の先生たちも、やはり宗派の目線ということを無視することはできません。自分の宗派については理屈なくこういうものだと信じていることがあるし、他宗派の数珠の形については、一部の少ない情報を極めて一般化して考察していることがよくあります。 権田雷斧師の記述と日蓮聖人の引用 「平形の念珠は違法」と語る根拠としている文献が、『十八道私記傳授私記』(権田雷斧 1847~1934)になります。念珠のことを調べ始めると、権田雷斧師も必ず通る道ですが、こちらは、いくつかの宗派を転々として最終的に豊山派管長にまでなった人です。 その過程で天台宗を学んでいた時期もあり、おそらく平玉の念珠を実際に手にしていたか、少なくとも身近に見ていたことが想像されます。 ここで心に留めておきたいのは、権田雷斧師には真言密教の目線で発言している傾向があるということです。 豊山大学学長だった頃に書かれた『十八道私記傳授私記』をさらに詳しく読んでみると、日蓮聖人(文中では日蓮上人と表記)の御遺文で勢至菩薩経について書いた部分をさらに引用して、「人をも悪道に堕とさん料に、天狗外道平形の念珠を作り出して、一遍の念佛に十の珠数を超えたり」という説明があります。 日蓮聖人が比叡山で平玉念珠を見たかどうかはわかりません。ただ、その少し前に法然上人が平玉の念珠を持っていたという記録があるため、すでに比叡山では平玉の念珠が使われていた可能性はあります。 ここまでの話を連続して考えて、おさらいしてみましょう。 念仏を多く数えたふり?という否定的見解 平安時代の後期にはおそらく平玉の念珠はあった。庶民が念珠を持つ時代ではなく、比叡山の中でもそれがどれくらい普及していたかは定かではない。日蓮聖人や権田雷斧師が平玉念珠の実物を見ていたかどうかは別として、 少なくともその存在を否定的に考えていた。その理由は、丸玉ではなく平玉にすることで、念仏をまとめてたくさん数えたふりをする行為、つまり修行をサボるための工夫だと見ていた。 ↑略式念珠で、平玉を使った例 「紫檀平玉 瑪瑙仕立」 平玉念珠をめぐる宗派間の対立とその影響 比叡山内部の思想と平玉念珠の位置づけ 比叡山の中で、どの時期からどのように普及したかは未だに記録が見つけられていませんが、日蓮宗や真言宗の目線からすると、平玉の念珠は良くないとされていたことがわかります。さらに、権田雷斧師や伊藤古鑑師が近代にまとめて書物を残した影響は大きく、現代に喩えるならば、影響力のあるインフルエンサーが「平玉の念珠は違法!」と投稿したことが長年バズっているような状況です。 伊藤古鑑師は、先述した法然上人の影響で、浄土門では平玉を使う者がいるとも書いていますが、浄土宗で平玉といえば、梵天の記子に平玉を10枚入れる習慣が残っています。これは、丸玉10、平玉20で(「とうにじゅう」とも呼ばれる)足を作る天台宗型念珠の省略型と考えるのが自然です。 首にかける念珠と同様の議論 話が大きくそれるかもしれませんが、これとよく似た議論に、念珠を首にかけるという行為があります。別の記事で深掘りしてみたいですが、経典には首にかけるという使い方が書かれていることもあります。天台僧侶が首にかけている様子は見かけることがありますが、他宗派では違法とされて居ることが多いです。 つまり、平玉の念珠と同じように、比叡山を離れた人は、念珠を首にかけることを嫌ったと考えるのが自然です。 「違法」認定の背景にある宗派的影響力 平玉の念珠についても同様に、伝教大師以降、比叡山の中でも思想の違いなどでいくつも派閥があり、それを象徴するものとして平玉の念珠を使う一派が天台宗の本流として比叡山に残り、それを嫌って山を下りた人たちの方が声が大きく、「平玉の念珠は違法」と声高に主張したことが、現代に伝わっているのではないかというのが、私の想像も大いに含めた考察になります。 参考: 『十八道私記傳授私記』

4月 3, 2025 · 1 分

桜のぬくもりを手のひらに ― 北海道発、エゾヤマザクラの念珠

エゾヤマザクラの念珠ができるまで 念珠店開業と最初の苦労 私が念珠店を始めたのは、2009年頃のことです。 それまでは仏具店で営業をしていたものの、独立して念珠専門のお店を構えた当初は、知名度も信用もまったくなく、どんなに高品質の念珠を作っても、なかなか振り向いてもらえませんでした。 お寺の支援と、越えられない「京都ブランド」 それでも、誠実に仕事を続けていくうちに、親しくしていたお寺の住職様方が声をかけてくださり、法要の際にお寺で販売させてもらえるようになりました。 住職様のお墨付きとなれば、檀家さんたちの信用も得られるかと思いきや、現実はそう甘くはありませんでした。 当時よく耳にしたのは、「京都でちゃんとしたものを買おうと思ってるんです」「京都でいい念珠を買ったんですよ」「え、京都から来たお店じゃないの?あら、違うんですね」といった言葉。 「念珠といえば京都」というイメージが根強く、北海道の念珠屋はどうしても影が薄く感じられていたのです。 「北海道ならでは」の念珠を目指して 今では、見えない工夫や購入前後のきめ細やかな対応を通じて、京都の老舗念珠店にも負けないサービスを提供していると自負しています。 けれども当時は、「京都と同じ素材を使い、どんなに丁寧に仕上げても、京都を超えることはできない」と、どこか諦めのような気持ちもありました。 そこで考えたのが、「北海道でしか手に入らない念珠を作ろう」ということ。 できれば、京都の方が「北海道から取り寄せたい」と思うような念珠を目指したい――そんな想いから、北海道産の素材探しが始まりました。 素材探しの試行錯誤 天然石ではブラックシリカや十勝石など魅力的なものもありましたが、加工が難しかったり、安定供給が難しかったり。 エゾシカやトナカイの角も候補に挙がりましたが、高額になりやすいのが難点でした。 もっと現実的な素材として北海道産の木材に目を向けましたが、「北海道ならでは」にこだわると、なかなか選定が難しい状況でした。 シラカバとミズナラの挑戦 試行錯誤の末、最初にチャレンジしたのがシラカバ。 話題性があり、雑誌で紹介されたこともあって一定の人気は得られました。 けれども、長年使い込む中で現れてほしい“味わい”がなかなか出ず、私としてはまだ改良の余地があると感じていました。 次に商品化したのはミズナラです。 こちらはテレビやラジオでも取り上げられ、一時的に多くの方に手に取っていただきました。 かつてウイスキーの樽材としてヨーロッパからも注目されていたほど、北海道のミズナラは品質が高く、生産も安定しています。 そのストーリー性も相まって、とても魅力的な素材になりました。 ただ、木目の力強さや荒々しさが際立つため、どちらかというと男性向けの印象が強かったのです。 出会い――エゾヤマザクラという素材 「もっと奥ゆかしく、品のある、まるで大和撫子のような素材はないだろうか」 そんな想いを胸に、探し続けてようやく出会ったのが、エゾヤマザクラでした。 エゾヤマザクラは、繊細で目の詰まった木肌が特徴で、しっとりとした滑らかな手触りがあります。 この素材で念珠玉を挽き、つや消しで仕上げると、凛とした美しさと優しさが共存するような、そんな念珠が生まれました。 北海道の桜の魅力を、手のひらに 全国的には桜と言えば、ソメイヨシノのような一面ピンクの華やかな景色を思い浮かべるかもしれません。 でも私たち北海道民にとって馴染み深いのはエゾヤマザクラ。 花が満開になる頃には、緑の葉も一緒に茂り、「葉桜」のような姿を見せてくれます。 この、気取らないけれど芯のある美しさ――まさに北海道民らしさを映し出しているようで、私はとても気に入っています。 エゾヤマザクラを使った商品は、男女問わずお使いいただける略式念珠や、ブレスレット型の念珠などをご用意しています。 その優しい肌ざわり、ぜひ一度、手に取って感じてみてください。

4月 1, 2025 · 1 分

念珠の学校オンライン設立にあたり

新型コロナウイルス感染症が日本でも急速に影響を及ぼした2020年に書いた文章です。あらゆるワークショップが中止となる中、オンライン教室を開発した際に抱いた想いを綴っています。ここでは、当時の文章をそのまま掲載します。 仕事って・・、働くって・・ 僕は念珠屋を始めて10年とちょっとになります。 おかげさまで結構長く続いていますので、念珠屋を始めてから知り合った人の方が増えてきました。そうすると、前職はなんだったのか、どういう経緯で念珠屋になったのか知らない人も増えてきたのです。 その話は長くなるので、ここでは割愛しますが、数年前にしこたま書いたことがあるので、よほど暇な方はそちらの記事を読んでくだされば嬉しいです。 とにかく、自分で商売を始めるまではサラリーマンでしたので、どんな仕事をしていたかということよりも、雇われているか経営者かということが何よりも大きな違いです。 サラリーマン時代は、とにかく大人になったら働くことは当たり前だと思っていたし、生活費を稼ぐためにも、そして、欲しいものを買うためにお金が必要だと考えていました。 そして、大きなポイントは、「自分の仕事の成果が社会貢献をして、その対価としてお金をもらっている」ということを理解していませんでした。いや、理屈ではわかっているつもりだったんですけどね。 仕事とは「社会貢献」ではなくて、いうなれば「『会社』貢献」だと感じるようになってしまいました。 そのうちそういう意識すら薄れてしまい、苦痛に耐えて所属していれば、自動的に生活費が保証されるシステムという感覚になっていたと思います。 皆さんの中には給料をもらっていても、情熱を持って社会貢献している人もたくさんいるとは思いますが、少なくとも僕は、「生活保障システム」という根性でサラリーマンをやっていました。 ベタな言葉遊びですが、「働く」とは → 「端(ハタ)を楽(ラク)にする」なんて言いますよね。 小さく商売を始めて、給料日というものがなくなりました。 本当に成果を収めた時に、自分の決めた金額を受け取ることになります。これは想像していた以上に大変なことです。でも、おかげで、誰かの役に立てた瞬間をしっかりかみしめることができるようになったのです。 そんな風にして、10年以上にわたって蓄積したノウハウ、そしてその思いをなにか形にしたいと思って動き始めたのが「念珠の学校オンライン」というプロジェクトでした。 ソフトウェアの時代 では、その「なにか形にしたい」ということは実際に、「なにか」と長らく考えてきました。 うちは念珠屋ですので、念珠を作り、それを販売することが仕事です。 今は、身の丈にあふれるほどのご注文をいただき、日々あくせくしていますが、それが永遠に続くとは思っていません。 ご存じの通り、仏具、法具、広くは伝統産業を見渡すと、その多くは斜陽産業と言われています。この流れは、日本人全体の意識がひっくり返るような歴史的な事件でも起きない限り、今後回復するような状況はないでしょう。 昨今はますます時代の移り変わりが速くて、あらゆる産業が衰退しているなか、ソフトウェアの世界はGAFAを中心に、まだまだ伸びしろがあります。 じゃあ、念珠を売るのはやめて、プログラミングでも勉強したほうが将来のためかとも考えましたが、それでは、またレッドオーシャンに後発隊として飛び込むようなものです。 そこで、自分が誰かに提供できるものはなにかと、ますます考えるようになったのです。 資産の意味合いが変わってきた 「お金」の勉強を少しすると、資産が資産を生むということがよくわかりました。 「お金に働かせる」という表現を使う人も多いです。 日本に限った話ではないですが、現在の資本主義経済ではすでに大きな格差があることは、皆さんが日々の生活で実感しているとおりです。 大げさかもしれませんが、このまま時代が進めば、時々数字を眺めているだけで欲しいものが手に入る人と、時給数百円の仕事を奪い合うような世界にもなりかねません。現在は、ややそれに近い世界になりつつあります。 資産が資産を生むとすれば、僕自身は100%後者に振り分けられます。 そのとき言う「資産」とは、現金のほか、不動産、株式など、現金化が容易な資産のことを指すでしょう。今までは、そうだったかもしれません。でも、この先、数十年を考えたときに、その限りではないと考えています。 僕自身が持っている資産はなにかと考えると、現金化できるものはほとんどありません。 しかし、突然収入が途絶えたところから、なんの元手もない状態で、幸せな生活を取り返すスキルは学びました。そして、その過程で大きなウェイトを占めるのは念珠を作るための知識と技術です。 幸せに生きる 「何のために生きるのか」というのは、宗教や哲学の世界ではよく取り上げられるテーマです。 万国共通の正解はありません。それぞれの人が自分なりの答えを見いだしていくしかない問いです。 お金はあった方がいいとほとんどの人は思っていますが、お金があっても幸せになれないということも、多くの人が気づいてきました。 それなのに悲しきかな、多くの人はお金につながるように行動してしまうものです。 何のために勉強するのか、何のために働くのか。すぐ手前には受験のためとか、成績のため、会社のため、家族のため、社会貢献のため……など、いろいろな理由があると思いますが、その先には「お金のため」であることが多いです。 なぜそうなってしまうかというと、お金が無くなることを想像すると不安だからですよね。 ものすごく不幸な自分を想像してしまうからです。現在の価値観で手に入れたものをすべて失うのが怖いからです。 僕は、体験として一度はいろいろ失いました。 その当時付き合っていた友人のほとんどが生活保護を受けていましたが、彼らが不幸で、ギリギリ生活保護を受けなかった自分だけが偉いとも思えませんでした。 むしろその逆で、彼らの方がよほど幸せに生きているように見えたのです。 この1年は、世界的に大変な状況で、飲食業や観光業、医療だけでなく、今後はあらゆる業種に負の波が広がることが予想されます。 僕は今、とても幸せに暮らしているという実感があります。 ひょっとして今後、また仕事に困ることもあるかもしれません。「かも」というか、あのときの苦労が軽く思えるほど、ひどい状況になることだってあるでしょう。 でも、不可抗力であれば受け入れるしかないし、防げるものは全力で防ごうと思っています。 だから、不安とか恐怖はまったく感じていません。 そのように思えた背景には、縁があって念珠屋になれたこと、そして仏教との出会いがありました。 教室の誕生、そしてオンラインへ 「念珠を縁に、多くの人に仏教が広まりますように」 これは、普段仕事をしていて、ずっとテーマに掲げていることです。 言い換えると、自分が得た幸せに生きる方法を、皆さんにも知ってほしいということです。 そして、どうやったらそれが実現するかと考えたときに、念珠そのものはいずれ売れなくなっていく。 グローバル化は急速に進み、日本式の念珠もいつまで製造されているかわかりません。 職人さんを抱え、大きな工場を持つ会社と違い、僕が妻と二人でコツコツ作ることができる念珠の数は限られています。 幸せをお裾分けできる人数も、その限りということです。 そこで、「念珠 ✕ ソフトウェア」という発想で生まれたのが、知識と技術を伝えることです。 おかげさまで、教室は、独自の個人レッスン、グループレッスン、地域のカルチャースクール、全国のお寺から講師として呼んでいただいたりと、幅広く開催してきました。 しかし、現在はそういった教室もまともに開けない状況になってしまい、今後も当面は不安定な状況が続くでしょう。 コンピューターやネット環境の進化はめざましく、昔ではテレビ局や大手企業など大きな資本を持っているところでなければできなかったことが、個人でも工夫次第でいくらでも実現できるようになりました。 そんななか、考え抜いて作った仕組みが今回の「念珠の学校オンライン」です。 公開初日から、早速登録していただいた会員様からは、 「疑問が一瞬にして解決しました」 「本当に感動です!」 と嬉しい声が寄せられています。 ...

2月 11, 2025 · 1 分

想いをつなぐ念珠 - 物ではなく、心を受け継ぐということ

念珠の価値 ここで考えてみたいのは、念珠の希少性や価格の問題ではなく、その人にとっての価値です。 念珠修理の依頼で結構多いパターンが、「直すより買ったほうが安い」という場合です。これは念珠に限らず、電化製品などでも皆さん経験していることだと思います。 しかし、電化製品と違うところは、念珠には思い入れがある場合が多いという点です。 「亡くなったお父さんが唯一残した形見」、「お母さんが嫁入り道具として持たせてくれたもの」、「旦那さんを亡くした縁で購入したもの」——理由は人それぞれですが、物質的な価値で判断できないことも多く、そうなると「買ったほうが安い」は大きな障害になりません。 切れた状態でしまっておくよりも、綺麗に直して使ったほうが良いと思うのです。また、その一連の思い出の念珠が、今を生きる者の合掌する機縁となることは素晴らしいことだと思います。 念珠のプレゼント 当店でお買い上げいただく念珠の中でも、実は意外と多いのが贈答用です。 お寺からお檀家さんへの記念品だったり、何かのお礼、社会人になった息子へ、お姑さんからお嫁さんへ……等々。こういった念珠は、機会あるごとに「あの時にいただいたものだな」という想いがいつまでもついて回ります。 また、自分で購入したものでも、よくよく選んだものであれば、「若い時にすごく気に入って買ったの」と思い出を語ってくださる方も少なくありません。そういった方がお持ちの念珠は、「良い念珠」だなと、お預かりするときに感じます。 新品を買っていただくよりも、修理は手間がかかって利益が少ないため、嫌う業者が多いと思います。しかし、僕は「想い」という付加価値がついた念珠を直していきたいと思うのです。「良い念珠」を残したいからです。 後世の人にとって「良い念珠」の存在は、一節の法話よりも意義深いものになるかもしれないと思うからです。 物質的な満足はもう要らない また、時代のニーズを考えると、物質的な満足感はすでに飽和状態で、「想い」に価値を見出す時代になってきている気がします。 たとえば、ボーナスが上がったので憧れのロレックスを購入したという話より、今は亡きおじいちゃんが若い頃から使っていた70年間愛用した国産腕時計を修理して、今も使い続けているという話のほうが、羨ましいと思いませんか。 修理はもちろんのこと、新品をお買い求めの際には、じっくりと気に入ったものを選んでいただきたいなと思う理由です。

2月 3, 2025 · 1 分

レインボーフラッグモデルの念珠とセクシュアルマイノリティへの想い

「レインボーフラッグ」をご存じでしょうか? レインボーフラッグ(直訳: 虹の旗、英語: rainbow flag, LGBT pride flag, gay pride flag)は、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー(LGBT)の尊厳とLGBTの社会運動を象徴する旗。1970年代から使用された。フラッグに使用された色はLGBTコミュニティの多様性を表し、LGBTの権利パレードの一種ゲイ・パレード(プライド・パレード)でしばしば見られる。 出典:「ウィキペディア(Wikipedia): フリー百科事典」より、レインボーフラッグ(LGBT) 長岡念珠店では、このレインボーフラッグをモチーフに6色の石を使用し、虹色念珠を製作しています。 レインボーカラーの虹色念珠 パートナーシップ宣言制度 セクシャルマイノリティである人たちは、かつてはアンダーグラウンドな世界で生きるか、自分のアイデンティティを押し殺して生きていくことが多かったのだと思います。 平成の後半からは、徐々にいわゆる「オネエタレント」をテレビで見る機会も増え、同性での挙式という事例もちらほら聞かれるようになりました。 少しずつ認知はされるようになってきましたが、公的な制度は何もありませんでした。 2015年(平成27年)4月、東京都渋谷区において「パートナーシップ宣誓制度」が全国で初めて開始されました。 これによって、「結婚に相当する関係」と認められる証明書が役所から発行されることになりました。単なる同居人ではなく、正式な家族として認められるようになったのです。 まだまだ多くの問題を抱えていることは各方面から聞こえてきますが、それでもパートナーシップ宣誓制度については、少しずつ全国の自治体に広がっています。 北海道では、札幌市が2018年より同制度を開始しています。 最明寺にてLGBT結婚式 この流れを汲んで、埼玉県川越市の最明寺において、同市のパートナーシップ宣誓制度が令和2年からスタートするのに合わせ、同性での仏前結婚式のプランを打ち出しました。 同性結婚式を挙げられる仏教寺院(最明寺様) このとき、挙式を迎えたお二人に贈られる記念品として、レインボーフラッグの色を取り入れた腕輪念珠を作ってほしいという依頼を受けたのが、最初のきっかけです。 お寺の発表以降、「式は挙げられないけれど、レインボーフラッグの念珠だけ購入したい」というお問い合わせが相次いだため、定番商品として扱えるものを考えることにしました。 お寺での結婚式用には、特別な日にふさわしい梵天付きの立派な腕輪念珠を用意していますが、定番商品として取り扱う念珠は、もっと日常使いしやすいものを考えました。 現在、略式念珠の頭房タイプ、アミ紐タイプ、そして同じ素材を使ったブレスレットを制作しています。 LGBT LGBTとは何か LGBTとは、Lesbian、Gay、Bisexual、Transgenderの頭文字を取ったもので、すでに広く知られつつあると思います。 ただし、LGBTと表記することで、「そこにも当てはまらない」という声が出てくる場合もあります。たとえば、Q(クエスチョニング)、I(インターセックス)、A(アセクシュアル)などです。 そのため、LGBTQと表記したり、LGBTQIA(+)という形で表現したりするなど、さまざまな表記が生まれました。 どれが「正しい」という議論はあまり行われていないように思います。 そもそもLGBTについて語る際は、特定の特性を持つ人々を囲い込んで区別することが目的ではないからでしょう。 そのため、本文中で「LGBT」と表記している場合も、あらゆる性のあり方を含めているという意味合いで受け取ってください。 なお、割合で言うとLGBTよりもストレートの方が多いとされています。一説によれば、LGBTは全体の8%とも言われています。 しかし、個人的にはその数字はあまり当てにならないと感じています。 はっきりと違和感を自覚し、日常生活で生きづらさを感じている人もいれば、ほぼストレートとして普通に暮らしているけれど、少しだけ同性にも興味があるという人もいるでしょう。 そう考えると、性のあり方というのはグラデーションのようなもので、どこかに線を引いて区別できるものではないと思っています。 マイノリティという囲い込み これは、性の話に限らずですが、マイノリティ(社会的少数者)について言及するときには、どのように捉えても賛否が出ることは覚悟しなければいけません。 世の中は多くの場合(特に民主主義では)多数決で物事が決まっていくことが多いので、マイノリティの価値観が無視される傾向があります。 そこで、マイノリティの人自身が自分たちについての啓蒙や人権を主張する活動をすることもありますし、マジョリティ(多数派)のほうが何か力になりたいと考えることもあります。 ここで出てくる疑問が、そういった活動は、あえてマイノリティを囲い込むことになっていないかということです。 たとえば、今回のようにセクシュアルマイノリティについていえば、自分は性的にストレートなので、LGBTの人たちのために何かできないかという、悪く言えば「境界線引き」とマジョリティの傲慢さがあるのではないかということを感じるのです。 先述のとおり、性のあり方はグラデーションだと認識したつもりでいたのに、逆に境界線を引くことになっていたとすれば本末転倒です。 虹色念珠の目的 そのようなことを踏まえたうえで、なぜレインボーフラッグの色をモチーフにした念珠を売り出そうと考えたのか、そのお話をさせていただきます。 僕は念珠屋として、「多くの方が念珠を縁として仏教と出逢ってほしい」と、いつも考えています。 では、その思いがどうして虹色念珠と繋がるのか。 売れない念珠かもしれない 虹色念珠ともなると、「LGBT向けに開発されているのだろう」と思われるかもしれませんが、それが目的ではありません。 現実的には、「自分自身がLGBTなのでその念珠を持ちたい」と考える方は少ないのではないかと思っています。 周囲にカミングアウトしていない場合、その念珠を使うのは難しいでしょうし、すでに周囲の理解を得ている方であっても、わざわざそのことを主張するようなものを身につける理由は、あまり想像できません。 それでも、プライド・パレードには多くの人が参加し、レインボーフラッグや同じ色のグッズをたくさん見かけます。 パレードで念珠を使うというのは少し考えにくいかもしれませんが、ブレスレットなら自然に使えるかもしれませんね。 LGBT関連でも、さまざまな方面で活動している方がいらっしゃるので、場所や状況に応じて使っていただければ嬉しいです。 派手すぎるけど大丈夫? 「こんな派手な念珠をお葬式に持って行っていいの?」 そう疑問を持つ方も多いかもしれません。 ...

1月 8, 2025 · 1 分

最低限の手入れをするだけで、「良い念珠」になる

良い念珠とは 「良い念珠」の定義というのは、難しく繊細な問題もあります。 まず、わかりやすいのは、物理的に良質なものです。素材の質が良く、玉の加工が良く、仕立てが良いもの。当然値段はある程度は高くなってしまいます。 プラスチックや樹脂製がダメか?聞かれたら、それが悪いとはいいません。しかし、一生使えるかというと、房の交換などせずに使い捨てにする前提で作られていますし、うちではオススメしません。 良い意味で「気持ちの問題だから質は関係ない」という方もいますが、僕の考えとしては、念珠は「身だしなみ」という意味合いも強く、人は想いを形にすることで改めて自覚する面もあるので、身だしなみを整えることは大切だと思うのです。 たとえば、ビジネスマンの世界では髪型、服装、使っている財布やペンの質まで良いものを求めることは、信頼を得るツールであり自分のモチベーションを上げる方法でもあります。女性の化粧やアクセサリーだって同様です。 実際の現場で見かけるタイプ ところが、お葬式会場に行くと立派な礼服に高級そうな革靴、ブランドの腕時計をしているのに、房もすっかりくたびれたプラスチック製の念珠を持っている方は意外と多く見かけます。 お金さえかければ良いという意味ではなく、バランスの問題です。この例で考えると、ほかの部分は立派なものを身に着ける余裕があるのに、明らかに念珠に関しては無頓着なことが伺えます。 それなりの場所で、子ども向けのプラスチック腕時計をしていたらおそらく気になるでしょうし、時計本体は立派なものであってもバンドの革が剥がれてボロボロになっていたら、恥ずかしいと感じないでしょうか。 不思議と念珠の場合は、とても恥ずかしい状態でも平気で使っている人が多いです。 安価なものでもいいのですが、明らかにないがしろにしている印象なのは、見ていて気持ちの良いものではありません。 写真は同じ念珠です。少し気を付けるだけで、こんなに違います。 あなたがお持ちの念珠はどちらに近いですか? 房を整えることは最低限の身だしなみ 前回の法事から念珠袋に入れっぱなしで、急なお通夜で取り出してみると、房がコッタコタに折れ曲がっていたという経験はないでしょうか。 こんな時は、お湯を沸かして蒸気を当てながら少しテンションをかけて整えることで、きれいに伸びます。玉の間や、房の付け根など、切れかけた部分があるときは切れる前に仕立て直しをお勧めします。房の汚れ、変色、色あせは、新しい房に交換しなければいけません。 みなさんも、何もない時こそ、ちょっと気にしてお手持ちのものが「良い念珠」かどうかチェックしてみてくださいね。

1月 8, 2025 · 1 分

念珠をアートとして楽しむ

房も玉も、形は色々、アートになれば未来に繋がる 念珠は意外と自由 仏教の法具というだけで非常に保守的なイメージがある念珠ですが、実はもっと自由だということが、今まで蓄積された情報からわかってきました。 作法としての決まりごとも意外と曖昧なことが多く、歴史的に見ても随分形を変えてきました。それは仏教的な意味合いだけでなく、単に実用的だったり、デザイン的なトレンドによる流れもあるようです。 新素材という発想で新しい念珠を考えると、その道のりは非常に遠く、商品化は困難ではあります。しかし、既存の素材だけでも数えきれないほどの種類があり、その組み合わせ方や使い方次第で無限の可能性を楽しむことができます。その感覚は、もはやアートの世界だと考えても良いのではないでしょうか。 アミ紐で蓮如結び風に この写真は、僕がここ数年自分用として使っているものです。 玉はシャム柿という、珍しくはない木の玉ですが、紐の結び方で遊んでみました。 つゆ結び、蓮如結び、角編み、釈迦結びを組み合わせて作った創作結びです。 編み方にルールがあるわけではありませんが、一般的には角編みとつゆ結びだけで作られることが多いようです。 蓮如結びというのは、正確にいうと結び方も少々異なるのですが、本願寺の8代目である蓮如様が考案されたということでこの名前がついています。 現在「真言宗の形」といわれているものが、念珠としては一番古い形に近く、基準とされています。例えば、日蓮宗ではよりお題目を数えやすくするための形に派生しましたし、浄土真宗の場合は数を取らせないために玉の数を減らしました。結び方の理由までは残っていませんが、玉がなくなった軸足の部分に飾り結びを施したものが、蓮如結びと呼ばれています。 本来は浄土真宗の僧侶向け装束念珠に使う結び方ですが、遊び心で単念珠にも取り入れてみました。 実用的であることは必須条件 念珠は手に掛けて使います。それも、静かに合掌に掛けるだけなら良いのですが、念珠入れ、袂、ポケット、鞄の中など、形を変えながら持ち歩く必要があります。 そのため、結び方は水引アートとは異なり、見た目に美しいだけでなく、実用的に動かしても型崩れしにくいという点が重要です。 3年ほど使い込んでいますが、ほどけることもなく、全く問題なさそうです。 Web3とNFT(2023年5月追記) 上記の記事は、9年前に書いた文章です。 写真を載せた念珠は、コロナ禍でお寺参りが減ったこともあり、以前ほど使い倒してはいませんが、10年以上経った今も型崩れすることなく残っています。 時代は進み、最近僕はWeb3の世界に関心が向いています。特にNFTアートに夢中です。 急にNFTといわれても「???」となる人が大多数だと思います。ここでは詳しく説明しませんが、きっと世界を変えることになると思います。 現在制作中のNFTコレクションの名前は、なんと「NENJU art」。これは、NFTを始める際に絞り出したネーミングですが、10年前にもアナログな世界で同じようなイメージがあったことに、自分でも驚いています。 完全に斜陽産業だった念珠業界は暗い話題ばかりですが、僕はまだまだ未来を向いていきます。

1月 8, 2025 · 1 分