仏教徒として生きるということ

あなたの宗教はなんですか?という問いに、なんて答えますでしょうか。
少なくとも僕の場合は、「仏教徒です」と答えます。
日本の仏教にもたくさんの宗派がありますが、今回はそこまで触れません。
もちろん、キリスト教、イスラム教と言う方もいるでしょう。俗な目線でメリットデメリットを上げたり、歴史的な背景から評論をする人もいますが、信仰に優劣はありません。

最近では、自信をもって「無宗教」と名乗る人も増えてきました。
そもそも、宗教とは何を宗として生きるかということですので、「無」ということはあり得ません。おそらくそういう方がいう無宗教とは、一般に宗教に分類されないものを拠り所としているということになると思います。宗教とはわかりやすくと、何かを判断するときの基準になるものです。「人生のすべては母の意見を尊重して決めます」ということでしたらお母さんを宗としていますし、自分自身が教祖様になっている場合もあるでしょう。また、たとえば経済的に損か得かで決める人はご本尊は「お金」ということになるかもしれません。
そういったものと、「宗教」に分類される神様や仏様と決定的に違うのは、普遍性です。人間の都合によって内容や価値が変わることはありません。消えることもありません。

イスラム教徒は今でも厳格に肉や酒を避けるひとは珍しくありません。外出中の女性がベールを外せない国もたくさんあります。毎週日曜はミサに通うキリスト教徒もイメージできると思います。それに比べて日本人は信仰心がない、宗教心がないと思ってる方も多いかもしれませんが、実は世界一、宗教が好きな国とも言われています。宗教団体の数が異常なまでに多く、すべての信者を合わせると全国民よりも多くなります。つまり一人で複数の宗教を信仰しているということが数字でわかります。

仏教には、五戒という基本的なお約束があります。
戒律にもいろんな種類がありますが、なかでも五戒は一番単純なものです。

不殺生戒
不偸盗戒
不邪淫戒
不妄語戒
不飲酒戒

漢字をみると、ほぼ意味は想像がつくかと思います。
詳しくは専門書や多くのネットサイトでも解説しているので参考にしてください。

それにしても、すべてを完璧に守るというのは、現代社会において少々難しいようにも思います。
現代でも罪に問われる不偸盗戒、不邪淫戒に関しては論外としても、不殺生を厳格に守って食事をするのは大変なことです。
妄語とはウソのことで、もちろん良い事ではありませんが、お世辞や社交辞令ということも現実的には必要で、苦手な相手に向かって「もう来ないでくださいね、二度と会いたくないので」と正直にいうことが、良い社会を生むとも思えません。
お酒に関しては我慢できる人と、そうでない人がいるかもしれませんが、「お付き合い」で関係が円滑になるということもあります。

しかし、仏教徒である以上、これに近づく努力、またはこのことを念頭に入れた生活をするべきであると思うのです。
かといって、たとえば、自分で買った肉なんだから自分のためだけに食べてよいと思っては、畜生と変わりません。
そこで、毎日3食はとても実践することはできなくとも、定期的に精進料理で過ごす日を設け、命をいただくをという行為を再認識したいと思っています。また、悪い意味での隠し事はせず、酒は人に迷惑をかけたり体調に響くような飲み方は避けるべきです。

比叡山の千日回峰行では「堂入り」までの700日が「自利行」と言い自分を磨くんだそうです。
在家の人間は特別な修行をするわけではありません。世のため人のために頑張るのはもちろんですが、より高度な社会貢献のために仏教的な「自分磨き」の要素をもう少し取り入れて、日暮をおくってみるものも悪くないなと思いませんか。