子育て生活の中の「戒」

最近は、すっかり宗教戒律について興味を持ってしまい、仏教を中心にさまざまな宗教の戒律について情報収集していました。

一言で戒律といっても、「戒」と「律」は別なもので、簡単にいうと言葉足らずかもしれませんが「戒」は守るべき努力目標で、「律」になると破ると罰則付きの厳しいルールという意味合いが強くなるようです。
仏教においては、在家においては「戒」を、出家すると「戒律」を実践していくという風になりそうです。(なりそう・・と誤魔化すのは、現在の日本の仏教では全く状況は違うからです。)

この、戒と律の使い分けというのは、とても興味深く、うちのように子育て中の家庭でも普段の生活の中で大いに応用できると思いました。うちには現在2~6歳の3人の子どもがおります。

即、命にかかわるような危険行為。これは、律と捉えてもいいでしょう。例えば、ベランダのフェンスに登る、雪の季節の軒下で遊ぶ、台所の包丁を持ち出す等。ところが、あらゆる約束事を律のように問答無用で禁止するのは、親子ともども大変なストレスであるだけでなく、理由もわからず禁止されても、小さな子どもにとっては興味の方が優先してしまい、守り切れなくなってしまいます。破れば親は怒り、イライラし、監視も疲れる、子供は怒られて、泣いて、より怒られない方法へ悪知恵がつきます。ネガティブな感情が連鎖していいことはありません。

ところが、約束事を「戒」と捉えると、子どもへの言い方も変わってきます。
例えば、「ゲームは1日1時間」なんてことはよく言われることです。
「怒られて急に消される」のと「自分で時間を考えてやめ、褒められる」のはどちらがいいか、問いかけると、幼稚園くらいの子どもでも十分にどちらが自分にとって気持ち良いか判断できます。

「1時間しかやってはいけません」と取り締まれば、ルールを守らない子どもにイライラしてはつい怒鳴ってしまいます。子どもも「もう少しやりたかったのに」といじけてしまいます。
自分で時計を確認して終了時間が近づくと、ゲームをやめる心の準備をし、時間でやめます。自分をコントロールできたということは子どもにとって小さな自信が積み重なっていきます。親も褒めてあげる理由が一つ増えます。

しかし、当然守れないことがあります。
どうしても、このステージが終わるところまでやりたい、時間を忘れて熱中してしまったという場合です。
そんなときも厳しく罰する必要はありません。うっかり約束を守れなかったことは、子どもなりに口惜しさや気まずさが残りますし、熱中しすぎているようなら、「時計見てる?」と声をかけてあげれば十分です。
開き直ってやり放題というのは、良い状況ではありませんが、約束の時間前後については、見守ってやりたいと思っています。時間きっかりに怒鳴りつけるよりも、5分オーバーしても自分でやめた方がはるかに能動的な行動だからです。