トラピスチヌ修道院
※(当ブログでは、念珠=数珠として書いています。文脈上の理由などから混在することがありますが、ご了承ください)
函館散策
先日、函館のお寺へ納品があり、送っても良かったのですが、せっかくの機会ですのでお寺にも寄らせていただきながら、函館市内を回ってきました。
感覚的な話で申し訳ありませんが、仏教寺院でいうと浄土宗が多かった様に思います。
それと、立派な神社が多い。そんなことないでしょうか。
本州の方からすると北海道一括りにしがちですが、面積で言えば10県以上あってもおかしくない広さのです。地方によって全然文化が違います。特に函館は開拓が早かったこと、松前藩の影響などもあり、北海道の中でも独特の歴史、文化があります。
トラピスチヌ修道院
宗教関連施設で、前から一度訪れてみたいと思っていた、トラピスチヌ修道院。
恥ずかしながら、こちらの世界に関しては全くの無知で、トラピストとトラピスチヌを混同しておりました。トラピストは男子修道院、トラピスチヌは女子修道院なんだそうです。
北海道の方ならおそらくご存じであろう「トラピストクッキー」は、男子修道院のほうです。
こちら女子修道院の方は、マダレナ(フランス発音だとマドレーヌ)が有名。それはそれは美味しいという話を後から聞きまして、買わなかった事を後悔しております。それもまた、次回のお楽しみということで。
聖ミカエル像
門をくぐって最初に迎えてくれるのはミカエル様。
かねてからお名前は伺っておりますが、さて、どうのような・・
ミカエルというヘブライ語を直訳すると「神に似たるものは誰か」という意味なんだそうで、天使の中でもとても大事にされているようです。
カトリックのイメージが強いですが、プロテスタントでも、ユダヤ教、イスラム教でも登場するんですって。
右手には剣、左手には秤を持っていることが多いそうで、守護者のイメージ。
あれ?なんか見たことあると思ったら、お不動さんによく似てませんか。
他人のそら似とは思えないほどキャラがかぶっています。不動明王も剣と逆の手にはなにか紐のようなものを持っています。
聖母マリア像
キリスト教ド素人の僕も、さすがにマリア様の名前くらいは知っています。
なんとも、異常なリアル感はどこからくるのかと考えたのですが、我々が普段見慣れている仏像というのは、いろいろな部分がかなりデフォルメされているんですね。
ところが、マリア様はスタイルの良い女性を実にリアルな人間の姿として表現しています。
よく知られたところで、仏の三十二相という身体的な特徴があると言われていますが、それは普通の人間ではないこともけっこう含まれています。
それぞれに、伝統や文化があっての事なんでしょうけど、西洋文化の宗教像は写実的ですね。
修道院
前庭を一番奥まであるくと大きな建物があります。この中で、今も修道女が規律正しい生活を送っています。一般の人は入ることができず、修道士であってももちろん男子禁制。
ほぼ自給自足に近い生活だそうです。売店には手作りお菓子などが売られており、最小限必要な現金収入はそこから得ているということでした。
聖テレジア像
テレジア様につていは話すと長くなるので割愛しますが、自叙伝『ある霊魂の物語』は世界中で読まれ、テレジア関係の本はたくさんあります。洗礼名でも「テレジア」は大変人気があるそうです。
仏教書ばかりで、キリスト教の勉強は全くしたことがありませんが、もう少し見聞を広げたいなと思っています。
ルルドの泉
修道院前庭のほぼ中央あたりにあるルルドの泉。
もともとはフランスの小さな村で起きたという伝説で、そのお話しに沿ってこの像も造られているそうです。
下がベルナデットという少女で、上が聖母マリア。
カトリックの場合はこれが定説のようですが、聖母マリアかどうかということについては解釈が諸説あり、議論は今も続いているようですね。
かなり語弊があるかもしれませんが、この状況を一言で説明すると、ベルナディットがお祈りすると聖母マリアが出てきて、急に泉が湧き出し、その水で病気の人々が癒やされたというのです。
カンの良い方は僕が何を言いたいかお気づきでしょうか。
そう、弘法大師の温泉伝説とほとんど同じだと思いませんか。
何でも仏教がらみの話とこじつけてスミマセン。
それにしてもこういった伝説の類いは、芋づる式に情報が出てきて、調べてみるととても面白いです。
売店ではロザリオも!
きれいなロザリオが売られており、念珠屋としては非常に興味深く、勉強のためにも一つ欲しいなと思ったくらいです。
しかし、さすがに畑違いで勇気が出なかったことと、業者目線で言ってしまえば、使ってる素材や作りなんかは、やはりお土産屋さんレベルなのかなという感じもして、せっかくならもちょっと本格的なロザリオを手に取りたいということで、今回は辞めておきました。
キリスト教も興味深い
普段は、仏教は仏教の中だけで凝り固まっていると行き詰まることも多いのですが、こうして、色々な宗教に視線を広げることで、世界の宗教観を俯瞰していけるような気がします。
アメリカで大流行して日本でも流行りつつあるマインドフルネスなんかは、可能な限り宗教色が排除されていますが、それは、必要な栄養素だけとれたらいいとサプリメントを飲むような行為にも感じます。
一見すると実に無意味にも感じる宗教の部分をかみ砕くことで、そこの含まれる栄養素だけでなく、人間形成していく上でのバランスの良さがでてくるのかなと。
そうなってくると、イスラム教やユダヤ教だって、もうちょっとふれみたいという気になりますね。