数珠は、仏教とともにずっと昔からあったもの。なんとなく、そう思っていませんか。私も、念珠を扱う仕事を始めたころはそう思っていました。
ところが、お釈迦さまの時代にいちばん近い経典を探しても、数珠は出てこないのです。
忙しい王さまのための教え
数珠の起源を語るとき、いちばんよく引かれるのが『木槵子経(もくげんじきょう)』というお経です。
ある小さな国の王さまが、戦や飢饉、疫病に苦しむ国を治めながら、仏さまにこう願い出ます。毎日の政務に追われて、ゆっくり修行する暇がない。昼も夜も、たやすくできる教えはないものでしょうか。
仏さまの答えは、木槵子(むくろじ)の実を百八つらぬいて、いつも身につけておきなさい、というものでした。歩くときも、座るときも、横になるときも、仏・法・僧の名を唱えながら一粒ずつ繰っていけばよい、と。
数珠は、もともと「忙しい在家の人でもできる修行の道具」として語られていたわけです。現代の私たちにも、どこか身に覚えのある話です。
ただ、このお経が書かれたのは、お釈迦さまの時代からずっと後のことでした。
初期の経典には、数珠が出てこない
お釈迦さまの教えをいちばん古い形で伝えるとされるのが、阿含経(あごんきょう)、パーリ語でいうニカーヤです。中国仏教の物質文化を研究したジョン・キーシュニック(John Kieschnick)は、これらの経典に数珠の記述がないことを指摘しています。
日本の数珠を研究したジョージ・タナベ(George J. Tanabe Jr.)も、南方の仏教に伝わる「比丘十八物」——出家者が身につけてよいとされた持ち物——に数珠が含まれていないことを挙げています。初期の仏教では、数珠は使われていなかった可能性が高い、というのが研究者の見方です。
では、どこから来たのか
有力なのは、インドのバラモン教(のちのヒンドゥー教)の習慣が、紀元後二〜三世紀ごろに仏教に取り入れられた、という説です。
インドでは、神の名や真言を何度も唱えるために、珠をつないだ道具が早くから使われていたようです。ジャイナ教の聖典には、バラモンの行者の持ち物の一つとして、数を数える珠の輪が挙げられています。仏教も、そうした周りの宗教の習慣を取り入れながら、自分たちの数珠を形づくっていったと考えられます。
中国へ——豆で数えさせた僧
経典の上では、『木槵子経』が数珠を説く現存最古級のお経です。隋の時代の経典目録(594年)にすでに名前が見えるので、六世紀の終わりには中国にあったことがわかります。
ただ、もとがインドの経典だったのか、中国で作られたものなのかについては、研究者の意見が分かれています。
実際に数珠を人々に勧めた中国の僧として名前が残っているのは、浄土教の道綽(どうしゃく、562〜645)です。唐の『続高僧伝』によれば、道綽は木欒子(もくれんじ)の実をつらぬいて数珠を作り、人々に配って念仏を勧めました。宋の『浄土往生伝』は、数珠を持たない人には豆を使って数えさせた、とも伝えています。
その後、唐の時代には密教の経典が次々に訳され、数珠の素材や珠の数、持ち方までが細かく決められていきました。大正新脩大蔵経に出てくる数珠の用例のうち、およそ七割が密教の経典です。数珠が仏教の中で大きく育ったのは、この時代でした。
日本へ——はじめは「宝物」だった
日本の記録に数珠が初めて出てくるのは、天平十九年(747年)の『法隆寺資財帳』です。同じ時代の『大安寺資財帳』にも、数珠が二十八点記録されています。正倉院には、琥珀・水晶・蓮の実・菩提子などの数珠が今も伝わっています。
仏教学者の花山信勝は、奈良時代の数珠は、ふだん使う道具というより、寺の宝物として扱われていたのではないかと推測しています。
その後、平安時代に空海が唐から数珠のお経を持ち帰り、鎌倉時代以降は念仏の広まりとともに、数珠は多くの人の手に渡っていきました。
「後から来た」ことの意味
お釈迦さまは、数珠を持っていなかったかもしれない。そう聞くと、少しがっかりする方もいるかもしれません。
でも私は、むしろおもしろいと感じています。数珠は、仏教が周りの文化と出会い、忙しい人のための教えを探し、数を数える工夫を重ねる中で、少しずつ形になってきたものです。インドから中国へ、中国から日本へと渡るたびに、素材も形も意味も変わってきました。
念珠職人として各宗派の本式の数珠を手にすると、さまざまな思いがめぐります。珠の数、房の付け方、親珠や四天の置き方。その形を見ていると、それぞれの宗派が何を大切にしているのかが見えてくるのです。そして、その意味づけを聞くと、どれもそれぞれに納得がいきます。
数珠は、その時代ごとの流行りや使い勝手に合わせて形を変え、今ではじつに多種多様な姿になって、それぞれの信仰を支えています。経典や仏像が、数えきれないほど多様に変化してきたのと同じように、念珠の形もまた、仏教のあり方を映した一つの姿なのだと私は感じています。
数珠は、最初から完成していた道具ではありません。二千年近くかけて、たくさんの人の手で育てられてきた道具です。その長い道のりの、今いちばん先にあるのが、皆さんの手の中の一本なのだと思います。
参考
- John Kieschnick, The Impact of Buddhism on Chinese Material Culture(Princeton University Press, 2003)
- George J. Tanabe Jr., "Telling Beads: The Forms and Functions of the Buddhist Rosary in Japan"(2012)
- 『仏説木槵子経』(失訳)大正新脩大蔵経 第17巻 no.786(CBETA)
- 道宣『続高僧伝』巻20 道綽伝 大正新脩大蔵経 第50巻 no.2060/戒珠『浄土往生伝』巻中 同 第51巻 no.2071
- 空海『御請来目録』大正新脩大蔵経 第55巻 no.2161
- Rie Arimura, "The Origins, Spread and Interfaith Connections around the Prayer Beads"(Anales del Instituto de Investigaciones Estéticas, 2021)
