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ロザリオの語源は「バラ園」——「ジャパマーラーの聞き違い」説を確かめる
世界の祈りの数珠

ロザリオの語源は「バラ園」——「ジャパマーラーの聞き違い」説を確かめる

2026年10月16日

キリスト教のロザリオと、仏教の数珠。どちらも珠をつないで、祈りの数を数える道具です。「もとは同じものだったのでは」と考える方は多く、そのつながりを示す話として、こんな説がよく紹介されています。

インドの数珠「ジャパマーラー(japamala)」の「ジャパ(japa)」を、ローマ人が「ジャパ(jap=バラ)」と聞き違え、「バラの花輪」という意味のロザリオ(rosarium)になった。

なるほど、と思わせる話です。この説は、英語圏の仏教寺院のサイトや雑誌記事にくり返し載っていて、日蓮宗の英語の公式サイトにも紹介されていました。

けれども、結論から言うと、この説は成り立ちません。

ロザリオ(rosary)の本当の語源

英語の rosary は、ラテン語の rosarium から来た言葉です。rosarium の元の意味は「バラ園」。それが中世のラテン語で「花冠」「花輪」の意味になり、さらに「祈りの連なり」、そして祈りを数える数珠そのものを指すようになりました。

祈りの言葉を一つずつ唱えていくことを、バラの花を一輪ずつ編んで聖母に捧げる花冠になぞらえた。そう説明されています。語源辞典の説明はこの流れで一貫していて、どこにもインドの言葉は出てきません。

「聞き違い説」のどこがおかしいのか

聞き違い説には、いくつも無理があります。

一つめは、「jap=バラ」という言葉が見当たらないことです。 ラテン語でバラは rosa です。サンスクリットの japa は「(神の名や真言を)小声でくり返し唱えること」で、バラとは関係がありません。

二つめは、時代が合わないことです。 「ローマ人が聞き違えた」と言いますが、rosarium が祈りや数珠の意味で使われるようになったのは、ローマ帝国の時代よりずっと後の、中世ヨーロッパのことです。ロザリオという祈りの形そのものも、十二世紀から十五世紀にかけて、何百年もかけて少しずつ形づくられたものだと、カトリックの側の研究者も述べています。

三つめは、ヨーロッパの数珠の歴史が、インドからの伝来を待たずに始まっていることです。 四世紀のエジプトの修道士が、小石を膝に置いて祈りの数を数えていたという記録があります。八〜九世紀のイギリスの修道院の墓からは、祈りの珠とみられるものも出土しています。

インドの数珠と、ヨーロッパのロザリオが、どこかでつながっている可能性まで否定されるわけではありません。ただ、少なくとも「ロザリオという言葉が、ジャパマーラーの聞き違いから生まれた」という話は、語源としては誤りと言ってよいと思います。

なぜ、この説は広まったのか

それでも、この説が広まったのには理由があると思います。

東と西の祈りの数珠が、一つの言葉でつながる。それは、とても魅力的な物語です。宗教のちがいを越えて、人は同じように祈ってきた——そう信じたい気持ちに、この説はぴったり応えてくれます。

だからこそ、確かめずに引用され、くり返されてきたのでしょう。宗門の公式サイトに載っているからといって、正しいとはかぎらない。これは、私たちが念珠の情報を発信するうえでも、気をつけたいところです。

日本では「コンタツ」と呼ばれた

最後に、日本とロザリオの話を一つ。

十六世紀、キリスト教が日本に伝わったとき、ロザリオはポルトガル語の contas から「コンタツ」と呼ばれました。contas は「数えるもの」、つまり数珠と同じ意味の言葉です。芥川龍之介の『奉教人の死』や『おしの』にも、「こんたつ」という言葉が出てきます。

ロザリオの語源は「バラ」でしたが、日本に来たときの呼び名は「数えるもの」でした。言葉の由来は別々でも、珠をつないで祈りを数えるという道具の本質は、ちゃんと伝わっていたのだと思います。

念珠職人が手にしたロザリオ

当店には、仏教系の新宗教の方から数珠のご相談をいただくことがときどきあります。一方で、カトリックのロザリオの修理や購入のご相談は、これまで受けたことがありません。

それでも私は、ロザリオを二本持っています。仏教の数珠とあわせて勉強したいと思い、自分で買い求めたものです。

ロザリオも、仏教の数珠と同じように、アクセサリーのお店などで売られていることがあります。ただ、そうしたものは構造そのものがよくない可能性もあると感じました。そこで、カトリックの司祭が監修しているお店を訪ね、自分は仏教の数珠を作っている者だけれど、勉強させてほしい、と事情をお話ししました。そうして、オリーブの木のものと、黒いオニキスを使ったものの二種類を譲っていただきました。

実物を手に取ってよく確かめてみると、実際の使用に耐える堅牢なつくりに感心しました。さらに感心したのは、切れたときのことまで考えられていることです。ロザリオは、仏教の数珠のように一本の糸に珠をすべて通すのではなく、珠を一つずつつないでいく構造になっていて、どこかが切れても珠が散らばることがなく、その部分だけを直すこともできます。じつに合理的なつくりです。

仏教の数珠も、同じような構造にしようと思えば、できたはずです。けれども、そうはなりませんでした。合理性をとらずに、あえて「一本の糸に、すべての珠を通す」ことを守り続けてきた。そこには、仏教の精神のDNAのようなものが残されているのではないか。それが、二つの祈りの数珠を手にした念珠職人としての、私の見立てです。


参考