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菩提樹の実の数珠は本物か——牧野富太郎の嘆きと、経典の「菩提子」
素材・石の知識

菩提樹の実の数珠は本物か——牧野富太郎の嘆きと、経典の「菩提子」

2026年10月18日

お釈迦さまは、菩提樹の下でさとりを開いた。そう聞くと、菩提樹の実で作った数珠は、さぞありがたいものに思えます。実際、菩提樹の数珠は昔から特別な素材として大切にされてきました。

ところが、日本の植物学の父と呼ばれる牧野富太郎は、これに真っ向から異を唱えています。

牧野富太郎の嘆き

牧野は随筆集『植物一日一題』の中で、日本のお寺に植えられている菩提樹について、こう書いています。

これはみな贋の菩提樹で正真正銘のものではないことに気がつかないのは情けない。殊に小さい円いその実で数珠を作って、これを爪繰り随喜しているのはなおもって助からない。

かなり手厳しい言い方です。牧野によれば、日本のお寺の菩提樹は、もともと中国で「菩提樹」と誤って呼ばれていた別の木で、お釈迦さまがその下でさとりを開いた木とはまったく別物だ、というのです。

お釈迦さまの菩提樹は、インドボダイジュ。イチジクの仲間の木です。牧野は、その実は小さくて丸いけれども、イチジクのようにやわらかい実なので「もとより念珠にすべくもない」——そもそも数珠にはできない、とも書いています。

研究者も同じことを言っている

この指摘は、牧野だけのものではありません。日本の数珠を研究したジョージ・タナベ(George J. Tanabe Jr.)も、経典に出てくる「菩提子(ぼだいし)」は、インドボダイジュの実ではないと述べています。実が小さすぎて、穴を開けることができないからです。明治の仏教学者・織田得能も、インドの菩提樹は数珠にするような実をつけない、と書いているそうです。

では、経典の「菩提子」とは何だったのか。これについては、はっきりした答えが出ていません。少なくとも、お釈迦さまの菩提樹の実そのものではなかった、ということだけは言えそうです。

「菩提樹」は、木の名前ではない

じつは今、数珠の素材として「菩提樹」の名がつくものは、驚くほどたくさんあります。星月菩提樹(せいげつぼだいじゅ)、龍眼菩提樹(りゅうがんぼだいじゅ)、鳳眼菩提樹(ほうがんぼだいじゅ)、天竺菩提樹(てんじくぼだいじゅ)……。

それぞれの原産がどこの国で、どんな木の実なのか、私は一つひとつ調べたわけではありません。けれども、これらがまったく別々の植物であることは間違いありません。

「菩提樹」と聞くと、ある一種類の木の名前のように感じます。でも、数珠の世界でいう「菩提樹」は、学術的に特定の植物を指す言葉ではないのだと思います。

仏教は、インドから北へ、アフガニスタン、チベット、中国、朝鮮半島、そして日本へと伝わってきました。その道すじのそれぞれの土地で、人々は数珠になりそうな木の実を見つけては、「これを我々の菩提樹としよう」と決めてきたのではないでしょうか。そうした文化的な合意の中から、とくに人気のあったものが、今に伝わっているのだと私は考えています。

それでも、菩提子は「最上」とされてきた

経典の中で、菩提子はいつも別格の扱いです。

唐の『校量数珠功徳経(きょうりょうじゅずくどくきょう)』は、数珠の素材ごとに功徳の倍率を並べたうえで、菩提子だけは「無量」——数えきれない——としています。しかも、作法どおりに念仏を唱えられなくても、菩提子の数珠を手に持って身につけているだけで、仏を念じるのと同じ福がある、とまで書いています。

『金剛頂瑜伽念珠経』でも、菩提子の珠は「無数の福」とされ、仏部の念誦には菩提子を用いよ、と説かれています。

植物としての正体はよくわからない。それでも、「菩提」——さとり——の名を持つ珠は、数珠の素材の頂点に置かれてきたのです。

文学の中の菩提樹の数珠

文学にも、菩提樹の数珠はたびたび出てきます。

  • 芥川龍之介『枯野抄』では、松尾芭蕉の臨終の枕辺で、弟子の丈艸(じょうそう)が菩提樹の念珠を手首に掛け、つまぐりながら師を見送ります。
  • 宮本百合子『日は輝けり』では、病気の娘を案じる老母おらくにとって、菩提樹の実の数珠は「唯一の財宝」で、一日中その手から離れません。
  • 與謝野寛・晶子の『巴里より』には、旅の途中のコロンボで、同行者が父へのお土産に菩提樹の実の数珠玉を買い求める場面があります。

師の臨終、娘の病気、遠い異国からの土産。どの場面でも、菩提樹の数珠は、ただの道具ではなく、心を託すものとして描かれています。

本物か、偽物か

牧野富太郎の言うとおり、日本で「菩提樹の数珠」と呼ばれてきたものの多くは、お釈迦さまの菩提樹の実ではありません。植物学としては、牧野が正しいのだと思います。

けれども、芭蕉の弟子も、娘を案じる母も、菩提樹の名を持つ珠に、さとりや救いへの願いを込めてきました。その願いまでが「偽物」だったとは、私には思えません。

天然石について、当店では「石の力」のようなスピリチュアルな話より、鉱物としての性質を重んじてお伝えしています。石の力の多くは、仏教とは関係のない、後から付けられた話だからです。

ただ、菩提樹は事情がちがいます。菩提樹の数珠は、仏教が伝わってきた道のりとともに育ってきた文化そのものです。だから菩提樹については、学術的に正しいかどうかを前に押し出すよりも、その物語を皆さんと一緒に分かち合いたい。私はそう考えています。

もちろん、素材について正直であることは大切です。「菩提樹」の名を、お釈迦さまの木の実そのものだとうたって売るのではなく、それぞれの土地で「菩提樹」と呼ばれてきた木の実なのだと伝える。そのうえで、菩提の名に込められてきた思いも、一緒に手渡していきたいと考えています。


参考

  • 牧野富太郎『植物一日一題』——青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/001266/card46820.html
  • George J. Tanabe Jr., "Telling Beads: The Forms and Functions of the Buddhist Rosary in Japan"(2012)
  • 『仏説校量数珠功徳経』(唐・宝思惟訳)大正新脩大蔵経 第17巻 no.788/『金剛頂瑜伽念珠経』(唐・不空訳)同 no.789(CBETA)
  • 芥川龍之介『枯野抄』、宮本百合子『日は輝けり』、與謝野寛・與謝野晶子『巴里より』——青空文庫(用例は当店の独自調査)