数珠は、お寺や仏具店で買うもの。今はそう思われていることが多いと思います。でも、その一本一本には、それを作った人がいます。
文学の中に数珠が出てくる場面を集めていると、ときどき、数珠を使う人ではなく、数珠を「作る人」が顔を出します。今回は、そんな場面を、同じ仕事をしている者として読んでみます。
白秋が聞いた「珠数のたま磨る響」
北原白秋の詩集『海豹と雲』(1929年)に、「珠数工の夜」という詩があります。
白秋は、関東大震災のあと、東京・谷中の天王寺のそばに仮住まいをしていました。詩集のあとがきで、白秋自身がその時期を「珠数工に隣り住んだ谷中天王寺十八番地の仮寓時代」と書いています。隣に、数珠をつくる職人が住んでいたのです。
詩は、こう始まります。
青い月夜の七分がた、 影が持つてる、紺のかげ。 ああ、ひたすら、 珠数のたま磨る響がする。
墓地の路地、五重の塔の上の月、飛ぶ蝙蝠。その静かな夜の中に、「珠数のたま磨る響」「珠数のたま磨る円鑪」「珠数のたま磨る窓あかり」がくり返されます。そして最後は「ああ、ひたすら、/珠数のたま磨る人が居る」。
白秋は職人の姿を見ていません。聞こえているのは音だけ、見えているのは窓の明かりだけです。それでも、夜遅くまで一人で珠を磨り続ける人の気配が、詩の全体を満たしています。
では、「珠を磨る」とは、どんな作業だったのでしょうか。
今は機械で珠を回しますが、昔は、火起こしと同じような要領で、錐(きり)を弓で引いて珠を回していました。回る珠に刃物ややすりを当てて、少しずつ丸く削り、磨いていくのです。

当時の職人が、その道具を実際に「円鑪」と呼んでいたかどうかはわかりません。けれども白秋が窓越しに聞き、思い描いていたのは、きっとこの道具の音だったのだと思います。
じつは今も、木の珠を挽くための決まった専用の機械があるわけではありません。私も木材から珠を挽くときには、少ない数でも作れるように、試行錯誤しながら工夫を重ねてきました。
南吉のランプの下で、糸を通す店
もう一つは、新美南吉の童話『おじいさんのランプ』(1942年)です。
まだ少年だった巳之助が、初めて大野の町に出て、ランプの灯る町並みに目を見張る場面。ランプの光に照らされた店先が、次々に描かれます。その中に、こんな一行があります。
また或る店ではこまかい珠に糸を通して数珠をつくっていた。
ランプの青白い光の下で、人々の暮らしは「物語か幻燈の世界でのように美しく」見えた、と南吉は書いています。数珠づくりは、その美しい町の夜の、ありふれた一コマでした。
白秋の詩が「磨る」仕事なら、南吉の童話は「通す」仕事です。珠を作る人と、珠をつないで数珠に仕立てる人。昔は、この二つが別々の仕事だったのかもしれません。
珠に糸を通すだけ。作ったことのない方は、そう思われるかもしれません。房を付けたり、紐を編み込んだりする作業にくらべると、たしかにとても地味な作業です。
けれども、この「珠に糸を通す」ことこそが、念珠づくりでいちばん難しく、いちばん大切な作業です。
まず、通すこと自体が難しいのです。穴に対して極端に細い糸なら、簡単に通ります。でも、それでは切れにくく丈夫な念珠にはなりません。たいていは、糸の太さを見極めたり、束ねる本数を調節したりして、穴にぎりぎり収まるところを探っていきます。そこはセオリーというより、職人の勘に頼るしかないところです。とくに修理の場合は、珠の穴も、これまでの使われ方も一連ごとにちがうので、正解も一連ごとにちがいます。
「念珠挽」という職人
もっと古い記録もあります。
歴史学者の喜田貞吉は『俗法師考』(1920年)の中で、中世の職人を絵と歌で並べた「職人歌合」の系統の資料に、「念珠挽(ねんじゅひき)」という職人が挙がっていることを紹介しています。轆轤師(ろくろし)、仏師、経師、玉磨(たますり)などと並んで、数珠をつくる専門の職人がいたのです。
「挽く」というのは、轆轤(ろくろ)で木などを回しながら削ることです。木の珠を一つずつ轆轤で挽いて形を整える職人が、念珠挽と呼ばれていたのでしょう。
経典の中にも、数珠職人は出てきます。『陀羅尼集経(だらにじっきょう)』は、数珠を作るときは「珠匠(しゅしょう)」——珠を作る職人——を呼び、値段を問わずに良いものを選ばせ、職人と一緒に身を清めてから作れ、と説いています。数珠づくりは、千年以上前から一つの専門の仕事でした。
描かれた職人と、今の職人
白秋の職人も、南吉の店の人も、名前はありません。物語の主役でもありません。月夜の音や、ランプの下の一コマとして、ほんの数行書かれているだけです。
でも私は、この数行がとても好きです。数珠を手にする人の向こうに、それを作った誰かがいる。そのことを、作家たちはちゃんと見ていてくれたのだと思うからです。
文学に出てくる念珠職人は、夜の場面が多いように思います。私自身、それを意識していたわけではないのですが、やはり夜に作業することが多いのです。
昼間は、お客様の対応や、ほかの業者とのやりとりなど、外向きの仕事があります。それに、いわゆる仕事の時間に念珠づくりだけをしていては、暮らしていけるだけの収入になりません。もしかすると、白秋の隣にいた職人も、同じような事情で夜に珠を磨っていたのかもしれない。そんなふうに想像しています。
大量生産・大量消費の時代を経て、ものづくりの本質のようなものが見えにくくなってしまいました。けれども私は、文学に描かれた大正や昭和のころのように、作る人と使う人が、たとえ直接顔を合わせなくても、お互いを思い浮かべられる。そんな念珠を作り続けたいと思っています。
今、皆さんの手元にある数珠も、どこかで誰かが珠を選び、糸を通し、房を結んで仕立てたものです。ときどき、その手のことを思い出していただけたら、念珠を作る者としてこんなに嬉しいことはありません。
参考
- 北原白秋『海豹と雲』(1929年)「珠数工の夜」——青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000106/card52353.html
- 新美南吉『おじいさんのランプ』(1942年)——青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/card635.html
- 喜田貞吉『俗法師考』(1920年)——青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/001344/card54856.html
- 『陀羅尼集経』巻2「仏説作数珠法相品」(唐・阿地瞿多訳)大正新脩大蔵経 第18巻 no.901、803頁(CBETA)
- 当店調査「文学作品のなかに見る数珠 ― 青空文庫の用例から読む民俗と文化」


