『お天道さまは見ている』著・赤川浄友

今年の花まつりの頃に完成した赤川浄友先生の本ですが、遅ればせながらレビューの投稿いたします。

『お天道さまは見ている』著・赤川浄友
国書刊行会 1300円+税

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赤川先生は浄土真宗本願寺の僧侶でして、数年前に千歳の秀法寺様にて聴聞させていただいたのがご縁でした。
学校の先生でしたが、宗教教育の必要性を感じお坊さんになられたと聞いております。そのため、仏教書でありながら育児書の側面もあり、目下子育て中の僕にとっては、大変参考になり、また同じように宗教教育の必要性を感じていた者としては、とても励みになりました。

浄土真宗のお坊さんは、死後の世界において、いわゆる俗信や迷信をさもらしく語ることを嫌います。宗祖がそうであったそうなので当然です。
しかし、赤川先生は、お釈迦さまも言ってないし中国の死者儀礼だと断りをつけて上手に語られます。「だまされないようにしてくださいよ。見てきたようにお話しますが(笑)」と。
俗にいう三途の川や閻魔大王の話も、本来の仏教ではないとはいえ、そういう教育なしに宗門の教義を幼い子どもに講義したところで伝わるはずもありません。

うちにも三人の子どもがいます。
正直、神様も仏様も斜めから拝んでいる僕は、「お天道さまが見ているよ!」と、子どもに対して堂々と言えませんでした。そういう宗教観がないからではなく、自信がなかったからです。

学生の頃に仲良くしていたマレーシア人のムスリムの友人が、誰に見張られているわけでなくても戒律を守っていました。当時は、すごいなあと思う反面、宗教とはそうやって人を洗脳するものかとも思っていました。しかし、今になって思えば、彼は神様のことを語ることも無理強いすることもなく、いつでも「お天道さまに見られている」ような感覚で自然に生活していたんだということを思います。彼の国では「お天道さま」が何になっているかわかりませんが。

僕と同じように子育て中の親御さん、教育関係者、また、「自分教」や「お金教」に入信しているとも気づかず、「私は無宗教」と思っている方にも是非読んでいただきたいです。憲法でも「信教の自由」を謳っている以上、公立学校で宗教教育ができないのは仕方がないですが、「昔は良かった」と言われる日本の今と昔の違いは、「お天道さまが見ている」という感性がなくなったということなんでしょうか。

ちなみに、笑い療法士でもある赤川先生の本には(笑)がたくさん出ています。ライブのご法話では、先代林家三平師匠が「どうもすいません」とやるポーズをしています。ここ笑うところですよという合図だそうです。(笑)