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数える宗派と、数えない宗派——房の小さな珠「記子」で見分ける
宗派と念珠

数える宗派と、数えない宗派——房の小さな珠「記子」で見分ける

2026年10月30日

数珠の房の付け根を、よく見てみてください。房に向かって、小さな珠がいくつか連なっていることがあります。これを「記子(きし)」、または「弟子珠(でしだま)」と呼びます。

この小さな珠は、飾りではありません。念仏や真言を唱えた回数を記録しておくための珠です。そして、この記子があるかないかで、その宗派が数珠で「数を数える」かどうかがわかります。

記子は、数を記録する珠

数珠の本来の役目は、念仏や真言を唱えた回数を数えることでした。主玉を一周繰ったら、記子を一つ動かす。そうすれば、百八の何倍唱えたかを記録しておけます。

唐の『陀羅尼集経(だらにじっきょう)』は、数珠を作るときに、百八の珠に加えて金の母珠を一つ、銀の珠を十作って「記子」とせよ、と説いています。記子は、千年以上前から数珠の一部でした。

数える宗派——記子がある

日本の数珠を研究したジョージ・タナベの整理によると、記子を持つのは、数を数える宗派です。

  • 真言宗・日蓮宗:記子が四本の房に付く
  • 天台宗:記子が二十と十の二本
  • 浄土宗:二つの輪を組み合わせた日課数珠で、六万四千八百遍まで数えられる

真言宗では真言を、日蓮宗ではお題目を、浄土宗では念仏を、何遍唱えたかを数える。そのための目盛りが記子です。とくに浄土宗の日課数珠は、数える道具としていちばん精巧な形をしています(→「浄土宗の日課数珠」)。

数えない宗派——記子がない

一方、記子を持たないのが、禅宗と浄土真宗です。

浄土真宗は、念仏の数を数えません。念仏は数を積んで功徳を得るためのものではなく、阿弥陀仏に救われたことへの感謝から出るもの、と考えるからです。明治の『数珠鑑(じゅずかがみ)』は、真宗の数珠は「念仏の数取に用ゆるにも非ず」と書いています。蓮如が、数を数えなくてすむように弟子珠を詰めて房を結んだ「蓮如結び」という形も伝わっています。

禅宗は、そもそも念仏や真言を唱えることを修行の中心にしていません。明治の『諸大宗数珠纂要(しょだいしゅうじゅずさんよう)』によれば、臨済宗の大本山は「念仏誦呪を以て専行と致さざる宗儀」なので、数珠は「唯だ法器の一として携帯」するもの、と答えています。曹洞宗も、数珠を繰るための決まった作法は古来なく、使い方はその人次第だとしています。

同じ「数えない」でも、理由がちがう

おもしろいのは、同じ「数えない」でも、真宗と禅宗では理由がまったくちがうことです。

真宗は、数を積むことに意味を置かないから、数えない。禅宗は、唱えることが修行の中心ではないから、数える必要がない。結果として、どちらの数珠にも記子がない、ということになります。

そして、数える宗派の中にも、真言宗のように真言の回数を、浄土宗のように一日何万遍もの念仏を数える、というちがいがあります。房に付いた小さな珠の有無と数を見るだけで、それぞれの宗派が何を大切にしてきたかが、少しずつ見えてきます。

記子は「弟子珠」とも呼ばれます。お釈迦さまの十大弟子をあらわすとされることから、そう呼ばれるようになったのでしょう。

片手数珠(略式数珠)には?

宗派を問わず使える片手数珠(略式数珠)には、ふつう記子は付いていません。数を数えるためではなく、手を合わせるときに手にするための数珠だからです。今、多くの方がお持ちの数珠は、じつは「数えない数珠」なのです。

私が仕立てる略式数珠にも、記子は付けません。ところが残念なことに、ときどき記子の付いた略式数珠を見かけることがあります。少し技術的な話になりますが、念珠職人としては、記子付きの略式数珠はおすすめしていません。

仏教的な意味を持たせるために付けているのだろう、と思われるかもしれません。でも、そうではないことが多いのです。

じつは、「ボサ」と呼ばれる部品と房をつなぐ軸糸の部分は、仕立ての中でもとくに技術が要るところです。一定の訓練を積んだ職人でなければ、きれいに仕上げるのは難しい。ところが、ここに記子を入れてしまえば、その手間をかけずにごまかすことができます。記子の珠の中にテグスなどを通し、房の裏で簡単に留めてあるだけ、ということが多いのです。こういう構造なら、とくに練習しなくても誰でも量産できます。

商売としては製作のコストを下げられますが、私はこのやり方をよく思っていません。質を落としてまで記子を付けた数珠が出回ることは、念珠の業界そのものの品格を落とすことでもあると考えているからです。

  • 見た目:格好がよくありません
  • 使い心地:房が突っ張ったようになり、手になじみません
  • 切れ方:劣化に気づきにくく、切れるときは一気に珠がばらまかれるように切れるので、珠をなくしやすいのです

記子は、本来は数を数える宗派の本式の数珠にあってこそ意味のある珠です。略式数珠に付いている記子は、見た目は本格的でも、実際には仕立ての手間を省くための部品になっていることがある。数珠を選ぶときの一つの目安として、覚えておいていただければと思います。


参考

  • George J. Tanabe Jr., "Telling Beads: The Forms and Functions of the Buddhist Rosary in Japan"(2012)
  • 『陀羅尼集経』巻2(唐・阿地瞿多訳)大正新脩大蔵経 第18巻 no.901、803頁(CBETA)
  • 那須大慶 編『数珠鑑』明治27年(国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/818694 )12頁
  • 那須大慶 編『諸大宗数珠纂要』明治28年(国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/818703 )64〜65・70頁