「お布施」と「クラウドファンディング」

「寄付が集まらない」というのは、お寺にとって年々深刻な問題です。
それは、過疎の地方、人口密集の都市部の如何にかかわらず、同様に起きていることと思います。

お寺以外の人にとっては、正直なところ関わりたくない問題かもしれません。
それに、宗教者がお金の話をするだけで、悪い響きに感じてしまう人もいると思います。
しかし、想像するだけでも伽藍(がらん)の護持、仏具や内陣造作にかかる費用、僧侶の袈裟、衣と、一般の方は金額の想像もできないかもしれませんが、相当な額かかるということはお分かりかと思います。気持ちの問題なので、お金をかけるほうが悪いと反論する方もいそうですが、人間はいくら方便でも見えるものくらい整えないと、気持ちを向けられない弱い生き物なのです。お寺とて空想の建物ではなく、形ある大型施設です。存在するだけで運営費と言うのは必要不可欠なのはいたしかたありません。
お布施そのものの意味や是非を話し始めると長くなるので、また別な機会に持ち越すことにします。

近年、「クラウドファンディング」という言葉をききます。これは、様々な活動をする上の資金調達を群衆から少しずつ集めるという考え方で、仕組みはお寺の寄付金によく似ています。本来、お布施というのは見返りを期待するものではない施しのことですので、そのお金が何に使われようと、出した人が知る必要はありません。しかし、この時代にそのような使途不明なお金が存在しては諸々問題ですので、実際には、本堂の建て替えだったり、必要な衣を整えたり、また、その為にご協力をお願いしますと、はっきりと使い道が明示されて、お寺の役員さんや住職さんが寄付のお願いに回るということがほとんどだと思います。

今までの時代では、血縁、地縁というものが強く、いうなればお寺の檀家という一つのチームの結束力が強固だったため成り立ってきたのですが、これからは間違いなくそれが通用しない時代にさしかかりました。
そこで今後は、少額×大人数という集め方をしなければならず、それを実現するには、つながりが希薄だった人もしくは、今まで縁がなかった人も含めて、考える必要があります。そうなってくると今度は、お寺側のプレゼンテーション能力が問われることにになります。「あなたがこの程度の額を出資してくれると、こんなことが実現します。私達の地域にこんなメリットが有ります。」ということを、伝えていかなければレスポンスはありません。もちろん、そのメリットとは、物理的な利得だけを指すものではありません。地域の心の拠り所になれるお寺を打ち出していく必要があります。「出してくれたら助かるけど、これはお布施なので特に見返りはありませんけどね」という腹では、まったく集められなくなるでしょう。
プレゼンテーションによるレスポンスとなれば、これはもはや寄付ではなく、出資です。仮に同じお金が集まっても本来の布施行とは程遠いものとなりますが、お寺が維持できずに地域に根付いてきた法灯を消すことになれば本末転倒です。それでも、この「布施」ではなく「少額出資」の縁が、将来、佛縁となっていく可能性は大いにあります。

世間が、権力者の財でのみ動いていくのが、つい最近まで当たり前だったのに対し、お寺ははるか昔から「クラウドファンディング」の思考を持ち合わせていました。ところが、それを体系化することなく、なんとなくの中で「良い時代」に胡座をかき、急に「厳しい時代」を実感するようになりました。非常にもったいないことです。
間違ってほしくないのは、これは、お布施の見返りを明示してほしいという提案ではありません。お寺側に対しては積極的にお寺に関わりたいと思えるような働きかけをしていますかという問であり、在家側に対しては「読経料」などのように誰が考えたかわからない言葉に惑わされることなく、志を持ってお布施を包めますかという問です。

僕はお寺の存在自体が、地域にメリットがあると思っていますが、これだけ維持費のかかる施設を塞ぎこんで衰退させて行くのはもったいないですね。
興味をもったお寺関係者の方は、クラウドファンディングの事業を検索して、お寺の事業に置き換えて考えみると新しい発見があるかもしれません。夢やロマンを掻き立てるような構想がたくさん見つかると思います。そのホームページや資料をよく見てください。「納骨堂を増築したいけど資金がなぁ・・」と悩んでいてもお金は集まりませんが、こうして動いている人がたくさんいることを知るだけでも刺激になると思います。
クラウドファンディングの凄いところは、投資額に応じてた直接的な見返りがないのにたくさんの投資家(個人で少額の方も含めて)が集まっているところです。そこには、単にギブ&テイクでお金や品物を交換する取引ではなく、夢や希望に投資したり、応援したいやさしい気持ちで投資したり、一緒に力を合わせたいという結束力も感じられます。そういったねんごろな志のことをさした、「懇志」という言葉があります。理想のクラウドファンディングのあり方が、実はお寺の寄付集めの原点であるようにも思えます。

この懇志のエネルギー、民間事業に負けず、再びお寺の世界にも向いて行くことを願っています。