『なりきる すてる ととのえる』著・釈徹宗

釈徹宗氏の新刊を読ませていただきました。
サブタイトルは「もう苦しまないための『維摩経』講座」ということで、全体を通じて初期大乗仏経典の『維摩経(ゆいまきょう)』の超訳になっています。

9784569763361

僕が学生時代に出会った人に、「君の研究内容をお母さんに説明できるかい?」と言われたことがあります。
どういうことかというと、難しい研究や実験というのは、同僚や教授なら説明が不十分でも分かって当然。自分の母親のような人、つまり、まったく予備知識もなく、理系でもない人にその説明を噛み砕いてできないということは、自分自信が噛み砕けていない何よりの証拠だというのです。今でも、心に刻んでいる言葉です。

この本を読んで、この言葉がまたよみがえりました。
釈さんはこの本の中で、維摩経を忠実に読み下すことを目的とはしていません。恐らく、ぜんぜんわからない人に維摩経の魅力を伝えることを常に意識して話をまとめています。だから意訳でもなく、超訳。
軽いジョークも交えながら、釈さんからおとぎ話を聞かせてもらっているような錯覚さえあります。細かい説明は大胆にほったらかして、ざっくりと全体をとらえてくださるのが、わからない人にとっては本線から外れることなくイメージが固まりやすいんだと思います。

多くのお経は、お釈迦様が弟子に語り掛けるようなものが多いですが、維摩経はお釈迦様さえ脇役です。
在家仏教者である「維摩(ゆいま)」が、出家者の仏弟子や菩薩をズバズバと論破していくという異色のお経です。

維摩と同じく、自称、在家仏教者を名乗っている僕にとっては、出家者以上に魅力的に映る部分もあり、とても興味深く読ませていただきました。
宗教を哲学的に見る人は、論理破綻している部分があると、血を見たピラニアのように食いつきます。
しかし、仏教って、意図的に矛盾をちりばめることで原理主義になりずらく、進化するように仕組まれたんじゃないかという気さえします。

凝り固まった論理をぶっ壊しては再構築するという習慣は、ビジネスでも政治でも、もっと活用されるといいですね。でも、それって維摩のようなかなりぶっ飛んだ人がいないと、なかなか難しい事なのかもしれませんが、少なくても個人が意識することで、自分をイノベーションするということはできそうです。

僕は、ますます維摩経を掘り下げてみたく知的好奇心がうずうずしていますが、ご興味を持った方は、ぜひ釈さんの本、おすすめします。