僧侶が語る死の正体: 死と向き合い、不死の門を開く、五つの法話

※(当ブログでは、念珠=数珠として書いています。文脈上の理由などから混在することがありますが、ご了承ください)

書籍のご紹介です。

『僧侶が語る死の正体: 死と向き合い、不死の門を開く、五つの法話』

著者:ネルケ無方,プラユキ・ナラテボー,釈徹宗,南直哉,アルボムッレ・スマナサーラ ¥1944 / サンガ

見た目でビビってしまうインパクト大な表紙に、なんともおどろおどろしいタイトルです。
しかし、表紙とは裏腹に、内容は非常にマイルドに書かれている印象を受けます。

僧侶は死の専門家ではないはずですが、世俗的に、「ところでお坊さんはどう思っているのか聞いてみたい」という企画なんだとは思います。

無理強いのようで、結果的にはとても面白い話が聞き出せたという本になっています。

気になる5人の僧侶

一人ずつご紹介するまでもなく、どの方も今話題の僧侶ですので、プロフィールの紹介は割愛します。

広く仏教書を読んでいる方でしたら、5人ともよくご存じかと思います。

ネルケ無法

僕自身は、ネルケ無法師の本だけは、気になっていながらも読んだことがありませんでした。

今回初めて拝読しましたが、とても腑に落ちる文章。理系の方は読みやすいですね。人生を微分積分に例えたお話しを書かれています。数学が嫌いな方は、余計にアレルギー反応が出てしまうかもしれませんが・・笑。

プラユキ・ナラテボー

プラユキさんにとってルアンポーカムキアン師はどういう存在だったのか。いつかお話しを聞いてみたいと思っておりましたので、しみじみ読ませていただきました。

「死」を見世物にするのはおかしいという感覚がある方にも一度読んで欲しいです。
死をじっくり観察し向き合ってきた姿が書かれています。

釈徹宗

うちは、業務でいうと浄土真宗本願寺派のお客様の割合が一番多いため、必然的に浄土真宗のお話しに触れる機会も多いです。

日頃、布教使先生よりお寺で聞かせていただく法話では、どっぷり真宗に浸かった内側目線でのお話しが多いのですが、釈徹宗師のお話しはいつも浄土真宗を俯瞰したアイディアがユニークです。

今回で言えば、タイトルである「死」を「物語り」と捉えた見方は、わかりやすく興味深く感じました。

南直哉

こんなところに書くといつか本人の耳に入って失礼にあたるかもしれませんが、今まで読んできた南直哉師の本は、どうも腑に落ちないというか、素直に受け取れず、読みながら反論していたんです。でも、どうやらそれは、僕にとっては師のレベルが高すぎる見方をしているがために、自分の感覚外の話をされることによる本能的な拒否反応だったようにも思います。

「死を語ることの無理」という前置きをしながらも、やさしく書かれたエピソードはぐいぐい引き込まれる内容で、文章から身近な人の死を疑似体験させてくれます。漠然としていた「死」が整理されて、リアリティを帯びてくるお話しです。

過去に読んだ南直哉師の本も、もう一度、読み返す必要があるなと、今では思っています。

アルボムッレ・スマナサーラ

さすがの長老節で、テーラワーダの観点からズバズバと問題解決してくれます。

長老はよくブッダの教えは宗教じゃないということをお話しされますが、それは、実体がよくわからないものを信じるという、悪い意味で日本人がイメージしている宗教ということなんでしょうね。

確かにこうして科学的に分析していくと、死は単に死であって、どうってことないし、どうしようもないことだと納得させられます。

5人のお話しを一度に堪能

こういうコンピレーションアルバムのような本は、一貫したテーマに対し、それぞれのお立場でどう見るかという比較が非常に面白いです。

仏教に興味があるけど何から読んだら良いかわからないという方にとっては専門用語はやや多く感じるかもしれませんが、比較的やさしく書かれていますので、こういった本を通じて、肌が合いそうで興味を持った先生の本を、さらに読み進めていくというのも良いかもしれません。