日本の悪い習慣

お盆明けになると、我が家のティータイムはこんな感じなります。

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写真を見てお分かりいただけるでしょうか。お菓子の山。
ほとんどが、饅頭、落雁、最中などの和菓子です。

そう、これらはすべて納骨堂などに御供えされたものの御下がりなんです。

お盆になるとご先祖様を偲んでお墓や納骨堂にお参りするというのは、実は、本質的には仏教と関係ない習慣です。ただ、わかりずらい仏教の教えを日本人に定着させたという意味では良くできた方便で、仏教云々抜きでも、道徳的、倫理的な意味でも、とても素晴らしい日本の習慣だと思います。

古き良き時代、高級だった砂糖をたくさん使ったお菓子、なかなか自家用としては買えなかった貴重な果物を仏前に御供えし、家族親戚が集まってはありがたく御下がりをいただくというということがあったのでしょう。戦中、戦後と言われる時代から、その御供えはどんどんエスカレートし、世の中に物は溢れ、若い世代はお寺を離れ、お年寄りだけが競うように誰も食べることない昔ながらのお菓子を仏前に大量に置いて帰る。これらの御供え物は毎年大量に処分されています。お寺で食べようにも限界があるし、食べれきれなくて僕のように貰ってくれる人もほとんどいないそうです。ほとんどの物は、カビが生えたり腐ったりして処分されていきます。うちでいただいた分は、また痛んでいないものを選別して少しずついただきますが、おそらく日本中を見れば数日間飾るだけのために、まだ食べることができるものでさえ大量に捨てられていることと思います。

そこに目を付けた「おてらおやつクラブ」(http://otera-oyatsu.club/)のような活動は、本当に意義深いもので、応援したいと思っています。知らなかったという方は、ぜひホームページをご覧ください。

それにしても、そもそも、御供えの意味をはき違えた、日本の悪い習慣になってしまったというのが正直な気持ちです。自分の生活には全く支障のない程度の自らいただく気もないものを御供えし、ご先祖様に対して自分は良いことしているという自己満足でしょうか、それとも生きている親戚に対する見栄でしょうか。
そんな風に、少々意地悪に考えてみても、話が集束するところは、「あぁ、日本のお年寄りが寂しいんだろうなぁ・・・」と、只思うばかりです。
お年寄りが、自分の存在意義を考え、「私はここにいるよ」という心の叫びを表現する方法が、こういうところでしかできない時代になってしまったのかなと思うのです。

「在すが如く」という言葉があるように、ご宗旨によっては故人が好きだったものという考え方もありますが、家族、お孫さんが好きなものをよくよく吟味したうえで、有り難く御下がりをいただける御供えを考えていただくことはできないでしょうか。そうやって繋がる笑顔から、次世代への仏縁となっていくことを願っております。