プラユキ・ナラテボー師にお会いして

タイで出家された日本人僧侶プラユキ・ナラテボー師が、札幌に来てくださいました。
1月17日 講演会&瞑想ワークショップのお話です。

先生についてご存知ない方は、まずはこちらをご覧いただければと思います。
http://blog.goo.ne.jp/yokienn

瞑想ってなんだろう

ここ数年で、テーラワーダ仏教に興味を持ち、そもそも「瞑想ってなんですか?」という感じだったのが1年くらい前でしょうか。それから、瞑想に関する本をいろいろ読んだりということで、自分なりに理解しようとしましたが、実践には至りませんでした。

悪い言い方をしてしまうと、どこかに胡散臭さというか、信じきれないというか。

ここでいう信じるというのは、神頼みやおまじないのような意味ではなく、現実的に効果が期待できるトレーニングなのかという意味です。ダイエットや筋トレを信じれないという感覚に似ているかもしれません。

多様化する仏教とマインドフルネスの関係

また、最近では、マインドフルネスということばがビジネス界でも普通に使われるようになり、グーグル、ゴールドマン・サックス、P&G等など、大手企業でも社員教育に取り入れるようになりました。逆に瞑想によって精神的なダメージを受けるというという記事もネットを中心に流行しました。

さらに最近の仏教界では、この現実社会で実用的な心のトレーニングのさらに上を行く仏教を目指す動きも出てきてさらに瞑想の存在が分かりずらく感じていました。

そんな感じで、僕にとっての瞑想とは、一定の距離を保って近くて遠い存在という状態が続いたわけです。

プラユキ先生のお話

講演では、慈悲と智慧について、因縁のサイクルについて、少々理論的にお話しいただきました。

印象に残ったのは、心の反応が悪いわけではなく、反応が起こった時に目覚めていれば、今ここで自覚ができていれば、無自覚にその後の行動を決められるわけではないというお話です。ひろさちや氏がよくいう、「奴隷的」というのはそういうことなんだと思います。

上座部の教えはとりわけ自分のためだけの修行と誤解されがちですが、プラユキ先生のお話を聞くとそうではないということが良くわかります。

瞑想の実践

札幌にて、講演会と合わせて瞑想ワークショップということで、初めて瞑想指導を受けました。
今回ご指導いただいたのは、手動瞑想、呼吸の瞑想、歩行瞑想の三種類です。これが意外と本やネット記事で読んだことのあるゆったり動く動作ではなく、結構ぱっぱと手を動かしたり、スタスタ歩いてしまうのです。

時計を気にして、3時半までってそんなにこれ続けるの?って、最初に頭によぎりましたが、手の動き足の動き、呼吸への気づきに没頭するうちに、あっというまに、「あぁ、もう終わりか」という時間を過ごしました。

瞑想中に浮かんでしまう様々な思考やイメージは、滅しようとするのではなく、「オッケー!」と受け入れてしまえばいいのだそうです。この辺りも、スマナサーラ長老が指導する瞑想とは違うようです。体のマッサージも「タイ式」というのがありますので、心のマッサージもきっと「タイ式」があるんでしょう。

どう感想を伝えてよいやら・・

正直、言葉でお伝えできる範囲ではおさまらず、とても濃厚な半日を過ごしました。

「机上の空論」という言葉がありますが、仏教は実践してなんぼということを改めて感じました。

大乗仏教の修行のイメージが強い日本人にとって、興味のない方からするとずいぶん風変わりに見えるかもしれませんが、念仏も座禅も、滝行だったり、もっと言ってしまえば日常の作務でさえも、方便が様々な姿に変わっていったわけで、その源流は同じなんだなとも感じるわけです。

レポートにはなりませんが、なかなか言葉にするのは難しい体験だったのでこの辺で。

少なくとも、瞑想が日々の生活につながっていることを実感し、とても身近なものとなったのは間違いありません。

本当に自由な生き方に改めて気づかせていただく良き縁となりました。
今ここに、目覚めて生きたいと思います。

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