私が念珠屋になるまで・・改め その7(最終回)

昨年末から歳をまたいで書き続けたこのシリーズも、今回で最終回にしようと思います。

その1から通算すると、たぶん原稿用紙60枚くらいになりますね。
書いた方もどうかと思いますが、全部読んだあなたもどうかしています。笑

ありがとうございました。

前回の話で社会人として最悪のところまできました。
そして、タイトル通り、念珠屋にはなりました。

最後にお話ししたいのは、タイトルにも添えた「・・・改め」の部分です。

これまでの話を読みたい方は、こちらをどうぞ。

その1(学生時代)
その2(プログラマー)
その3(介護の仕事と営業職さがし)
その4(仏具屋との縁あって)
その5(粉本主義と営業職に違和感)
その6(会社を辞めてはじめた小さな念珠店)

絶対に潰れない商売

たった1年で6割の企業が消える

いろいろな統計と集計の方法はあるようですが、一節によると、創業から1年で4割、10年後には数%の企業しか生き残っていないなんていいますね。

そんな時代に、どうしてうちは今までやってこれたのか。

「能力があるからだ」と言ってくださる方もいれば、いつも事後報告する両親は「運のいいやっちゃ」ともいいます。

潰れないけど儲からない

10年で数%というデータが本当ならば、僕は選ばれし経営者ということになりますが、まったくそんな感覚はありません。だって、そんなに儲かっていませんからね。

僕のビジネス論は、かなり独特のところがあって、誰にもゆっくり話したことはありません。そもそもだれにも聞かれたことがない。なぜかというと、これもやはり儲かってなさそうに見えるからでしょうね。苦笑
ベンツにでも乗っていたら、どうやって成功したのか?って、すぐに取材が来るんでしょうけど。

強いて言うなら最近になって、やっと夫婦でゆっくりビジネス論を話すようになりました。
妻が「手伝ってくれる家族」ではなくて、いつの間にか「共同経営者」というポジションに移行したのだと思います。

人・金・物

これは、大昔から商売の基本としてよく言われることです。
「人・金・物」がなくては、商売ができないということです。

時代は大きく変わってもこの基本はあまり変わりません。
多くの人は、この3つを集めて商売を始めます。

そして、事業に失敗する理由も、このどれか一つ以上にトラブルが発生することから起こることが多いです。

人に裏切られたり、お金が足りなくなったり、商品が回らなくなったりします。

商売の始め方

では、僕の場合どうやって商売を始めたか。

当時、道行く人、出会う人、全て敵だと思う程の人間不信でしたので、誰かと一緒に仕事をするなんてとても信用できませんでした。お金と物は、もとよりありません。

つまり、あるのは自分の身ひとつ。

しかし、考えてみてください。
「人、金、物」が「1、0、0」なんですよ。マイナスではない。

それで、どうやって事業を軌道に乗せるか?
そもそも、生活できるのか。

できませんよ。
そもそも、念珠で食べていけるなんて全く考えていませんでしたから。

それ一つで収入を得ないと生きていけないという状況に自分で追い込んでしまうからリスクも大きく焦りもあって潰してしまうのです。

長ネギを掘ったり

2009から2010年にかけての冬は、念珠屋の看板を上げながらも、実体は肉体労働を転々としていました。

以前からよくしてくださっていたお寺が、付き合いで、いくつかの念珠や仏具を注文してくださったりしたくらいです。そっちの方が臨時収入。

ある知人から「ネギ掘りの農家を紹介してやろうか?」という話をしてもらったのが、その年の夏です。

仕事を選ぶ余裕などない立場ですので、二つ返事で紹介してもらいました。
面接といっても、「顔みりゃわかる。すぐ来れるかい?」で終わりです。

こちらの農家の奥さん。
久しぶりに、敵じゃない人に遇ってしまった気分でした。
自分を受け入れてくれる人を、どこかでずっと探していたんでしょうね。

そして、ネギ掘りの夏が始まりました。

まあこれが、驚くほどキツい仕事でして。

腰も限界に、足に謎の痺れ

2ヶ月もすると、腰痛もひどくなり、足の痺れが取れなくなって整形外科に行きました。
病院で仕事の事情を説明すると「そりゃ仕事辞めなきゃ治らんね。悪いけど付ける薬ないわ」

・・ちょ、先生、ものごとには言い方ってもんが・・

でも、いい気味でした。自分のことが。

このままあちこち壊れて、そのうち不憫に死ねばちょうどいいな思っていました。

でも、毎日たのしくて

そんな感じでしたが、それでも楽しい毎日でした。

世間は不景気でみんな安定を求めて必死でした。
そんな世間を「金亡者どもめ、ざまーみろ」と思っていました。

ところが、畑で出逢った季節労働者たちは、今まであったことのない人種だったのです。

ギャンブルが大好きで、酒が大好きで、今夜のビールとタバコ銭があれば、明日のことなどどうでもいいという生き方。

給料日にススキノへ消え、有り金ほとんどなくして返ってくるなんて感動すら覚えました。

「酒ものまんし、タバコもすわんし、パチンコも競馬もやらんし、長岡君って何が楽しくて生きてるの?」・・・今思っても、人生で最高の質問ですね。

「それ以外は、なにやっても楽しいですよ」というのが、僕の答え。

みんな簡単に生活保護もらうし、明日のことなんて明日考えればいいみたいな感じだし、「ま、どうせ死ぬしな!ガハハハ」という環境に毎日囲まれていました。
さらに、自暴自棄になっているのですから、執着する物などなにもないのです。

お金の心配どころか、自分の身体も含めて、実体のあるものはなく、あてになるものなどないという境地でした。

いつしか心穏やかに。そんな生活そのものが認知行動療法になっていたのかもしれませんね。

季節労働者の彼らこそ、餓鬼道から地獄道へ落ちた僕を救いに来た地蔵菩薩だったのだとさえ思っています。

長岡念珠店、本当の開業

虚仮威しは終わりにしよう

人によっては、人生堕ちるところまで堕ちたとも言える、地獄のような肉体労働生活のはずなのですが、なんだか楽しく遊びに行ってるような感覚になってきまして・・

そんな生活を送っていると、ある日、妻に唐突に言われます。

「けっきょく念珠屋、やるの?やらんの?」

一瞬ことばに詰まりましたが、「やるよ。」と答えました。

振り返ると、この何気ないやりとりが、虚仮威し(こけおどし)の念珠屋から、本業の念珠屋に変わった瞬間だと思っています。

アルバイトとは?

本業を念珠屋として目覚めてしまった僕は、ネギ掘りのバイトも意識が大きく変わりました。

時給で雇われるのではなく、自分の時間を切り売りしていると感じたのです。

金も物もない自分自身のマネージメントで、唯一の財産は自分の時間です。
その貴重な財産を切り売りするのが、アルバイト。

そう考えると、労働力は商品です。雇用主はお客さん。
就業時間に手を抜くことは、粗悪品を騙して売っているも同然です。

できることをやる

ネギを掘ってるうちはとりあえず食べていける。

とにかく出来ることをやろうと思いました。
なんの根拠もないけど、とにかく10年は修行。そう思いました。

一番大きな変化は、お寺へのお参り、そして法話の席につくことを復活させました。
もう会社員でもなんでもないので、誰にも咎められません。

法要に参ったからといって念珠が売れるわけではないことも、会社員時代に実証済みです。
はっきり言って、なんの得もありません。

酷い話を打ち明ければ、「あんたら坊さんが業者を相手にしてくれないことなど百も承知。聞きたいから来てるだけだ」と腹では思っていました。(今でも思っています・・・ボソ)

自分に課した修行ですから。もう理屈じゃないんですね。ネギ掘りだろうが、寺参りだろうが、優劣はありません。できることをやる。それだけです。

広大な畑のネギを掘り終えた

重い言葉

ひとシーズンでネギを何万本抜いたんでしょうか。
最後は、雪がちらつくなか、畑のネギを掘り終えました。

身体はボロボロでしたが、大人になって一番晴れ晴れした、気持ちの良い1年でした。

「今年は来てくれて良かった!また、お願いできるかい?」

その言葉が、僕にとってはどんなに有り難い言葉だったか。
順風満帆な人生を送ってきた方にしてみれば、たかが、農家のバイトでしょ?って思うかもしれません。

でも、誰も自分のことを必要としてくれないという期間を味わうと、これほど重い言葉はありません。

やっと居場所ができたようにも思いました。

農家でも評判に

その後、数年、ネギはもちろん、農家さんの間でもコネが広がって、キュウリやブロッコリ、米や麦の手伝いもしました。

もちろん、本業の念珠の仕事が優先でしたので、後にその割合は減っていきます。

毎日朝6時から生協への出荷やキュウリの収穫をやって、10時頃に帰っては慌ててお寺に向かうなんていう日が続いた年もありました。

生協の「ご近所やさい」とか「朝もぎ」みたいな直送便が売られているでしょう?
ああいうのも、誰かが寝ないで収穫したり運んだりしているということを、知っておいてくださいね。

最後に

「大地」からいただいた人生の「土台」

農作業の給料を少しずつ念珠に投資しては資産を増やし、数年で念珠屋の仕事で生活できるようになりました。

5年前くらいからは、逆に、畑に行きたいがために寝ないで本業をするという状況になり、今ではもう行く時間が、なかなか取れなくなってしまいました。

本業の念珠屋をどうやって広げてきたかということも話せば長くなりますし、後日談もたくさんありますが、それはまた別な機会に。

根性論ではだめという風潮はあるのですが、個人的にはけっこう好きなんです。

就職できないろくでなしも、文字通り地に足着けて農業でがっちり2年くらい頑張れば、人生変わるんじゃないか?そんな支援団体を作ったらどうだろうなんてことも考えました。

それってすでに、倉本聰が富良野でやってるやつですね。
富良野塾の塾生は、1年が終わって、一番大切なものは?と聞くと、ほとんどの人が「土」と答えるそうです。

そう、何がなくても、土があれば生きていける。農業はそんな気にさせてくれます。
そして、心も体も鍛えられ、人生の土台ができます。

仏教が好きな理由

「宗教にはまっている」という言い方をされるような人は、信仰の対象があると思うんです。

なんとか神のご加護のもとでとか、私はなんとか菩薩に救われたとか・・

僕の場合は、そうではないんですよ。
仮に順調に長生きしたとして、人生の第2四半期ともいえる20~40才の期間を、けっこうしんどいこともありました。

しかし、どの時点を振り返っても幸せで、良いご縁だったなと思います。
何か一つで今のようになれたわけではありません。

気づけばたくさんの仏教の話はぜんぶ自分のことでした。
そんな風にあとから気づくのです。

いい話を聞いてこれから救われるのではなく、どっちに転んでもちゃんとブッダの教えがあったのです。

いつのまにか、人生まるごとを「ふわっと」抱かれていたような感覚です。

今では、ますます自分は仏教徒ではなかったなと思いますし、たぶんこれからもずっと仏教を疑っていると思います。

「ブッダの智慧に遇って欲しい」そういうと堅苦しいですね。

僕からお伝えしたいのは、信仰してくださいとかそういうことではなく、いつのまにか「ふわっと」抱かれていた、この感覚はなかなかいいもんですよ、ということ。

こうすれば覚りに近づきますとか、だれもが極楽浄土に行けますとか、そういう話は、お坊さんが頑張れば良いし、みなさんもそれぞれ大事にしたら良いと思いますよ。

そして、こうして念珠屋をやっているというのも、よほどの縁がもよおしてのことであったんだなと思うのです。

なかなか良い仕事だ

能力があったわけでも、運が良かったわけでもなく。

とはいえ、やってみれば意外と何でもできるものだし、偶然が重なって不幸のどん底に貶められたわけでもありません。

なんていうか、全体的にフツーだなと。

「あなた人生楽しいでしょ?」と言われることがあります。
変な質問だなと思いますが、たしかに人生楽しいですね。
だって、毎日どうしたら楽しくなるかということしか考えていませんから。

念珠屋という仕事。
なかなか良い人生だと常々思っています。