念珠屋のお寺トーク

先日、秀恩寺様(苫小牧市)の永代経法要にて、出張出店と合わせて、お話をさせていただく機会がありました。お勤めの後、本来ならば法話の時間ですが、その時間を使ってテーマはフリーでお話してほしいというご依頼でした。

正信偈のお勤めです。
実はこの度、めでたくも寺号公称することになったばかりの新しいお寺で、不慣れな方も多い雰囲気でした。ご門徒様方と一緒に座ってお参りさせていただきました。

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今までも、「念珠について話してほしい」というテーマ付ではご依頼を受けたことがありましたが、あえてテーマフリーということでしたので、僕自身の経験談から、どうやって仏教と出遇い、なぜ念珠屋になったか、そして何を伝えたいかということをお話しさせていただきました。

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ご縁あって、たまたま仏具屋に勤めることになり、いつしか仕事よりも仏教そのものが面白くなってしまったこと。そのギャップを埋められず、会社員として続けていけなくなったこと。その後、大変な苦労があったこと。
身も心も追いつめられて、卑屈に過ごした時代。それでも心に届いた仏様の話があったこと。

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ただ、「出来ること」を続けてきました。誰にも必要とされたないと思っていた自分が、今ではたくさんの方が呼んでくれます。たくさんの居場所ができました。「食える仕事」の尺度を棄てて、「おかげさま」の気持ちでいっぱい、今は念珠屋を続けています。

僕は今でも、そもそも「念珠は本当に必要なのか」と疑問を解決できていません。念珠を使わない仏教もありますし、仏教以外でも使います。もちろん、玉そのものに不思議な力があるわけでもありません。しかし、念珠を通じて、たくさんの人の想いを言葉以上に伝える現場に何度も出くわしています。時には世代を超えて。亡き人の想いでさえも、伝わることがあります。
そんな、多くの人の想いを伝える念珠を、作ったり直したりするのは、悪くない仕事だなと今は思っています。

お参りに来てくださった30名ほどの方が、1時間ほどの長丁場でお疲れだったでしょうに、最後まで真剣に耳を傾けてくださいました。そして、帰りには口々に「良い話を聞かせてもらって・・」と声をかけていただきました。

「また来てくださいね」

こうしてまた、居場所がひとつ増えたこと。
心より嬉しく思うのでありました。