これからの念珠の役割ってなんだろう

うちは、従業員を抱えるような会社とは違い、すべての作業は夫婦でコツコツ手分けして作業している小さな小さな商売です。
有り難いことに、今すぐやらなければいけない仕事は常に山積みで、慢性的にお待たせ気味という状態が続いています。
しかし、作業員として目先のことばかりこなしていては、長期的に商売は成り立っていかないので、小さくても経営者としては来年に向けて種をまく作業が必要になります。そして、種をまくには、今後の天気を予想する必要もあります。

そんなことで、念珠を単に念珠として相変わらず売り続けるというのは、おそらく業界誰しもが限界を感じていることです。
うちの場合は、購買メイン層が、僧侶または通年熱心にお寺参りをされている方ですので、念珠は使うごとに痛み修理が必要になりますし、自分用、家族用と必要に応じて購入もしていただけます。ところが、世間一般のイメージでは、葬儀や法事の際にとりあえず必要と思っている方も多く、若い層になると、用意した方がいいというイメージすらない場合がほとんどです。

かつては喫煙具だったジッポライターが、使い捨てライターや禁煙ブームで煙草に火をつける人は非常に少なくなりましたが、コレクターズ商品として今なお大変な人気があるということも聞きます。売るものはデザイン程度の少しの変化ですが、役割を大きく変えて生き残っているのです。

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念珠の世界はどうでしょうか。そこでアクセサリーや西洋風なおまじないの要素を取り入れて大変流行ったのがパワーストーンの業界です。一過性のブームと言い捨てるには、思った以上のロングセラーで、ビジネスシーンでも着用が容認されているところを見ると、世間に浸透していることが分かります。そんな状況をみてか「もっとアクセサリー化することに力をいれて若い客を囲んだほうがいい」というアドバイスをよくいただきます。

しかし、僕は石や木の玉集めだけが好きで始めた商売ではなく、仏教の魅力があってのスタートでした。こんな言い方は雑かもしれませんが、念珠は仏教ライフをより楽しむための嗜好品であり、在家の人間にとっては日暮タイムと仏教タイムを区別するための小道具だと位置づけています。日本酒にはお猪口、ワインにはグラス、専用の道具は理に適っており、しかも良いものを使うとますます機運は高まります。念珠も仏教においてそういう存在だと思っています。念珠自体を趣味で集めたり、念珠の石に願掛けするのは、空のワイングラスを並べたり、注がれたらおいしいであろうワインの味を無いのに願うようなものです。

全国的に日本のお寺は存続の危機にあります。今は良くても30年後、50年後、自信をもってお寺を守っていく策を打ち出しているでしょうか。多くの場合は模索中、または諦めているということもあるかもしれません。
浄土真宗の蓮如上人のように、とびぬけたマーケティング能力を持った方も中に入るかもしれませんが、多くの僧侶はマーケティングの専門家ではありません。逆に僕は、教義伝道の専門家ではありませんが、念珠という一つアイテムを手掛かりにアクションを起こす材料は常に探っています。これらがどこかで融合すれば、前代未聞の化学反応を起こす可能性はあると思って楽しみにしています。

もし、日本でも何かの形で仏教を宗にして豊かに生きる人がもっともっと増えたときに、念珠はあまり重要ではないということになるなら、そのまま日本でも使う人が減っても本望です。今の時点では、念珠ひとつが面白いという入り口でも仏教を身近に感じてもらえるようになれば嬉しいなと思い、試行錯誤しているのです。