数珠と念珠の時代変遷

数珠と念珠はどっちで呼んでもいい

「数珠」と「念珠」については、「どっちでもいい」というのが、今のところ僕なりの正解だと思っています。

それぞれの場所でご当地理由がある場合もあります。ある法話の中で「数珠と念珠は意味が違いますから、我々は念珠と言うのが正しい」なんて話をされている方がいましたが、フラットに念珠の歴史を辿るとそれも疑問です。

ただ、仏教には方便という考え方がありますし、想いを伝えるときには、誤解を恐れず極端な表現をした方が大切なことが伝わりやすいということもありますので、色々な背景は知っていたとしても、わざとそういう表現を使ったのかもしれません。

時代による考察

意味が違うとか、心意気が違うとか、はたまた宗派によってちがうとか、それぞれにうなずける部分はあります。

改めて情報を整理すると気づいたのが、時代による違いです。

中国での歴史背景

インドでは、古い梵語ではハソマと呼ばれていて、古い文献には一応これに漢字が当てられており「鉢塞莫」になります。 中国の梁(りょう)の時代には「数珠」という言葉が出てきます。というのが、一般的な見解でおそらく『釈氏要覧』( https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994567 )を根拠にしたものだと思います。

この辺をもう少し掘り下げてみましょう。

中国の梁というのは、具体的には502~557年、いわゆる南北朝時代の王朝です。
梁といえば、建国したのは武帝です。一般に歴史で有名な武帝といえば、紀元前の漢の武帝なのですが、ここでいう武帝はその子孫とされる、蕭 衍(しょう えん) です。

こちらの、梁の武帝に僕が出会ったのは、達磨大師との問答のエピソードです。禅らしい達磨大師の答えが、とてもクールなので、ご興味ある方は調べてみてください。

東晋にはすでに?

数珠の話に戻ります。
数珠の起源という話になるとよく引用されるのが『木槵子経』で、経典の原典成立時期は定かではありませんが、東晋(317~420)失訳(つまり、訳者不明)の頃とされています。

内容的には、波瑠璃王という王様が、次々と国を襲う災難に困っていたので、お釈迦様が無患子(むくろじ)の実を108個繋いで、それを繰りながら修行すると涅槃にいたるということが書かれています。

そうなると、梁よりも100年ほど前の東晋の時代にはすでに「数珠」という言葉があったのでは?と思って原文を探してみました。

ところが、108の無患子を繰りまくれということばかり書かれていますが、それを「数珠」とは一言も言ってないのです。つまり、この頃から中国でも数珠の概念はあったものの、数珠という言葉はなかったということですね。

無患子の実

唐の時代(618~907年)

その頃日本はといえば、「遣唐使」という言葉を連想する人も多いでしょう。
遣唐使は15回とも、20回とも言われていますが、いずれにしてもその終わり頃、 弘法大師が中国に渡った事でも知られています。

あの弘法大師がどうしても中国に渡って学びたいと思ったくらいですから、中国の仏教は唐時代にはかなり成熟したものになっていたのでしょう。

その時に、中国から弘法大師が持ち帰ったとされる念珠がいくつかあります。 御請来念珠と呼ばれています。
中でも恵果阿闍梨から賜ったとされる形の念珠を見た知り合いの中国人が、「遼金時代の数珠によく似てる」というのです。

遼金時代という言い方が日本の歴史の教科書的に正しいがわかりませんが、彼の言い回しをもとにしています。遼(916~1125年)は、おなじ「りょう」でも、先述の梁とは違いますので混同しないでください。中国語読みだと、梁( Liáng )、遼( Liáo )と、読み方も違うのです。

年号が前後したので、整理すると、空海様が中国に渡り落ち着いたのは805年。遼金時代といえば、そこから300年ほど後ということになりますが、 御請来念珠 に似ていると現代の中国人が思うというのは、きっと本当だったんだなというロマンがありますね。

ついでなので中国で数珠に関する当時の古い資料がないか訊ねてみたのですが、「我々の先祖はたくさんの戦争をして焼かれてしまったので残っていないだろう」という、切ない回答でした。

確かに、唐になると「念珠」という言葉もよく出てくるようになります。

「金剛頂瑜伽念珠経」というお経に至っては、タイトルに堂々と「念珠」が入っていますが、これを訳した不空という人もこの時代の人で、密教を唐に定着させた三蔵法師のうちの1人と言われています。

ちなみに現代の中国では

「数珠」という言葉が一般に伝わるかわかりませんが、あまり見かけないように思います。「念珠」はそのまま中国でも通じるでしょうね。あとは「佛珠」という表記もよく見かけます。数珠と念珠の違いじゃないですが、中国語の念珠と佛珠も同じ意味だよと、若い中国人に教わりました。

まとめ

数珠と念珠は、どうやら西暦600年前後の中国での言葉の移り変わりということになるでしょうか。日本と違って、唐以降の時代も数珠と念珠が平行していたというよりは、呼び方が変わったと考えるのが自然かもしれません。

古い経典を拠り所にした日本で、再び「数珠」という言葉が復活したと考えると、なかなか面白いですね。