コロナ禍を越えて(前略御住職様 第24号 その2)

コロナ禍を越えて

新型コロナが騒がれたのが、つい先日のように思い出されます。あらゆる、行事、集会等が全て中止され、お寺でもオンラインを活用した法話の配信や遠隔での法要など工夫された話しもお聞きしました。皆様のお寺では、現在はどのような活動になっているでしょうか。様々な行事や法要が五年前と同様に完全復活という話はほとんど聞いたことがありません。

振り返ると、2019年の年末から2020年へ年明けのころです。中国の武漢の様子が大変だとニュースになり始めました。一月六日に厚生労働省から初めて発表がありました。書き出しでは「中華人民共和国湖北省武漢市において、昨年一二月以降、原因となる病原体が特定されていない肺炎の発生が複数報告されています」と書かれていました。その後の四年間は御承知の通りです。

2020年はまったく身動きが取れず、世界はどうなってしまうのかという一年でしたね。

人が集まっての法要はもちろんのこと、各家庭での月忌参りですら断わられることが多かったと思います。

2021~2022年については、人数や時間の制限、マスクや消毒などが定着し、あらゆる行事が縮小しながらも再開し始めました。オンラインを活用した動きも急速に増えましたね。Youtube、Instagram、TwitterなどのSNSでも、急に僧侶アカウントの動きが活発になりました。

社会の回復の兆しと今後の見通し

二〇二三年、飲食に対しても多少認められ、やや大規模な行事も許されるようになってきました。それとトレードオフになっているのか、一時期盛り上がったオンライン活用というのは、少し下火になったような印象もあります。ネット上での活動というのは、実はとても疲弊します。実際にあって顔を見たらなんとなく解決していることを、文字や画像に落とし込まなければいけないため、頭脳戦で戦い続ける体力と忍耐が必要です。

ネットは便利だが万能ではない

ネット上の活動になると「パソコンやスマホが苦手だから」という声も多く聞こえますが、技術的な事よりも、戦略的なことに頭を使わなければいけない事が多すぎるというのが本音だと思います。お寺に行けば広い伽藍があり、お香の香りがして、御荘厳があります。人間同士だって、笑顔や声のトーンで伝わることも多いですし、お茶やお菓子、手土産が話題になることもあるでしょう。そこで、それぞれ法要にあったお勤めをすればいいし、法話があればいい。しかし、それらが一切使えない状況で、お寺の魅力を発信しなければならない、法事や葬儀の意義を伝えなければいけないとなると、それはとても難しいことです。全体の難易度を考えると、パソコンの操作が分からないことは小さな悩みだと感じますね。

宗教は精神世界のことを伝えるのが目的です。ところが、こうして考えると想像している以上に肉体的な要素が多いことにも気づかされました。念仏、坐禅、真言、題目という動作がついて回るもの、肉体的な体験を通じての精神世界だからでしょう。

家族で法事
オンラインでは、伝わらないこともある

コロナもインフルエンザも共存していくしかない

コロナが収束したともしないとも言えない状況で法律的には五類となり、それを見計らったようにインフルエンザも以前以上に流行するようになりました。これはある程度の定常状態になったようにも感じます。今後、感染症の流行については短期的な劇的な変化をしていくというよりは、穏やかに共存していく期間が長くなりそうです。

つまり、「早く元通りになれば良いのにね……」なんて呑気に構えていられる時期は過ぎてしまいました。もう、元には戻らないということは、誰もが薄々気づいているでしょう。

お寺も社会全体も動きが完全にストップしてしまった頃、私も全ての予約がキャンセルとなり、一般売上も突如ゼロになりました。その間、遊んでいたわけではありません。当初は急ごしらえでしたが「念珠の学校オンライン」は今や主力のサービスとなり成長を続けています。

丸四年です。2019年時点では、元気だったリーダー的存在の人も亡くなってしまったり、毎年続いていた恒例行事が、もう集まる元気すらなくなってしまったり、そんなことは珍しい話ではありません。ここからは、五年前に戻すことが目標ではなく、新しい時代をどう切り開くかに注力しなくてはいけませんね。

以降の章では、次の時代を切り開くアイデアや長岡念珠店の現状や展望をお話したいと思います。内容は多岐に及びますので、ご興味のあるところから読んでいただければ幸いです。

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