未来への展望:次世代に何を使えるか(前略御住職様 第24号 その5)

未来への展望:次世代に何を使えるか

Web3と念珠屋の未来

ここまで、長岡念珠店の現状と業界についてお話ししてきましたが、少し言い訳めいた部分もあったかもしれません。これからは、一緒に将来について考えていきましょう。誰にも未来は予測できませんが、現在の最先端を理解し、それを踏まえた上での準備は可能です。そして、予測と異なる未来が訪れた場合でも、私たちは柔軟に軌道修正をしていけます。
現在のように材料仕入れから念珠の製作、行商による販売というスタイルのままで二〇年後も生き残れるとは考えていません。二〇年前には、スマホで念珠を購入するなど想像もできませんでした。次の二〇年で、さらに想像を超える変化が起こるでしょう。しかし、どんな未来であっても、「念珠屋」としての私たちの活動は続いていると信じています。

Web3の基本概念:

時代はWeb3(ウェブスリー)へと移行しています。この用語を聞くだけで懐疑的になる方もいらっしゃるかもしれませんので、初めに基本的な概念から丁寧に解説しましょう。Web3というからには、Web1とWeb2も存在します。特にお寺の未来にも密接に関連しているため、苦手意識を持たれている方でも、基本的な理解を深めることが重要です。

Web1の時代:

Web1について考えてみましょう。Windows95のセンセーショナルな発売が始まった頃のインターネット事情を思い出してください。初期のインターネットは、先進的な一部の企業がホームページを作成し、特定のパソコン愛好家だけがそれを閲覧できる環境でした。やがて、多くの家庭でホームページの閲覧やEメールの使用が可能になりました。

昔のパソコン

Web2の発展:

次に、Web2の時代についてです。スマートフォンの普及が始まる少し前から、Web2は台頭しました。これは、今や当たり前となったSNSの時代を指します。Web1とは異なり、特別な機材や知識がなくても、スマートフォン一台で世界に情報を発信できるようになりました。情報は一方通行ではなく、個人と世界が双方向で繋がる時代へと変わりました。皆様がよくご存じのYouTube、Facebook、Instagram、X(旧Twitter)などは、全てWeb2の代表的なツールです。特に注目すべきは、シリコンバレーの巨大企業が情報を支配した時代でもあるということです。Google、Amazon、Facebook、Appleといった企業は、GAFAとして知られ、中央集権的な組織として、そのサービスに依存する世界中の人々に、規約や方針の変更を強いていました。

SNSイメージ

Web3への移行とブロックチェーンの紹介:

しかし、これらのSNSや大手企業の名前が、最新キーワードと感じられた方は、ここからの話が少し難しくなります。では、Web3とはどのような世界を指すのでしょうか。Web3の基礎となる技術は、ブロックチェーンという、世界を根本から変える大発明です。ここで、ブロックチェーンの詳細な説明に熱中してしまいそうになりますが、この文章は科学書ではなく、実は念珠屋さんのニュースレターです。それを思い出し、ここでは簡単にその概要を紹介するに留めますので、興味を持っていただければと思います。
もう少しだけお付き合いください。

Web3と仏教: 分散型自律組織への進化とその社会的意義

念珠や仏教とは少し離れてしまうような、抽象的なお話になりますが、しばらくお付き合いください。

Web3は、単なる技術革新にとどまらない深い意味を持つものです。この驚異的な発明に関わるにもかかわらず、発明者の国籍や個人、またはグループであるかの詳細はいまだに明らかにされていません。この謎に包まれたエピソードは、単に話題性を超えてWeb3の象徴的な側面を示しています。その開発者たちは、利益を独占することを望まず、共有という文化を築きました。

現代社会の構造は、トップダウンのピラミッド型から、それぞれが独立しながらも共通の大きな目標に向かう形へと大きく変化しています。この変化は、分散型自律組織、通称DAO(ダオ)として知られる新しい組織形態によって象徴されています。この仕組みでは、匿名性が高く、個々の能力が重視され、学歴や社会的地位による優劣ではなく、「今、何ができるか」が問われます。

web3イメージ
web3の分散型イメージ

Web3時代のお寺はどうなっていくのか

この抽象的な概念を、お寺の世界に例えてみましょう。従来の本山や連合組織という上部団体がなくなり、暗黙のうちに感じている寺格のような上下もありません。各寺院が独立して運営されるようになる一方で、宗派という枠組みの中で共通の方向性を保ちます。しかし、各寺院の規模や特色、地域条件は異なるため、チームとしての貢献も多様化します。

SNSが普及してようやく、僧侶個人の活動が認知されるようになり、本山公式アカウントといったものが登場したのはつい最近の話です。おそらく、各宗派の公式としてWeb3的な活動に及ぶのは数十年先になるでしょう。Web3的なコミュニティが形成されていく過程では、一般寺院の住職さんや個人の僧侶、その他、私も含めて仏教に縁のある人たちが情報交換の場を作っていくことになります。Web2では、誰とも分からぬ不特定多数の人とつながって、できるだけフォロワー(支持者)を増やすことが財産となりましたが、今後は、少数で質の良いコミュニティが形成されます。

そこに社会的な地位はあまり機能しません。志があって皆に好かれる人こそ活躍する世界です。言葉が悪いかもしれませんが、たとえ立派なお寺の僧侶でも、有名大学の先生でも、感じの悪い人であれば、仲間に入れてもらえません。
チームプレイのメリットとしては、利益の公正な分配が挙げられます。個々の貢献に応じて、お互いの合意のもとで利益が分配されます。匿名性が高いため、人々は学歴や社会的地位ではなく、現在の能力と貢献によって評価されます。これは、一時的なプレゼンテーションの巧みさよりも、実際に貢献した内容が重視されることを意味します。

しかし、社会が変わっている実感がないと感じる人もいるでしょう。最近の特殊詐欺グループは「匿名・流動型犯罪グループ」と呼ばれる集団がでてきました。皮肉にもこの分散型自律組織の感覚を巧妙に利用しているのです。これはWeb3が持つ潜在的なリスクを示唆していますが、同時に、仏教がお釈迦様の時代から持つ、強固な組織構造に頼らない伝道の形式とも通じるものがあります。

将来的には、私たちが分散型自律組織のようなサンガへと回帰することで、組織衰退や偏狭な視野に左右されない、変化に強く柔軟な伝道集団へと進化する可能性があると考えられます。

布教イメージ

Web3時代における念珠屋の新たなチャレンジ:NFTの可能性

Web3について、前項でご紹介した内容は伝わりましたか。将来は本当にそんな風になっていくのだろうか?と疑問にもたれた方もいるかもしれませんが、じつはWeb3の肝となるブロックチェーンの技術が発表されたのは2008年のことです。2008年と言えば、奇しくもスマホが世に出回ったのと同じ頃ですね。私自身はPC、インターネット方面にはずいぶん明るいつもりでいましたが、当時はブロックチェーンについて知る由もなし、またスマホですら「こんなもの必要ないでしょう?」と、訝しく見ていたことを思い出します。

それから一五年たって、現在は念珠屋としてどんなことにチャレンジできるのか、考えると楽しくてたまりません。

ここで「NFT」という、また新しいキーワードを持ち出します。これもブロックチェーンを応用した技術ですが、簡単に説明しておきましょう。「Non-Fungible Token」、またの名を「非代替性トークン」とは、一体どのようなものでしょうか。。デジタルデータは、簡単にコピーできることは皆さんもよくご存じだと思います。たとえばスマホで撮った写真を、誰かに送ってあげることは簡単です。このとき、自分のデータを送ったとしても自分のスマホから写真が消えるわけではなく、無意識でコピーされたデータを送っていますよね。

NFTってなに?

ところが、NFTの技術を使うと、なんとデジタルの世界でも原本が保証されます。例えば、自分が撮影した写真データをNFTにすると、そのデータは未来永劫、原本はそれひとつしか存在しません。コピーすることはできます。ただし、コピーはコピー。原本ではありません。

例えば、高僧様が直筆で書かれたとされる書は「真筆」と呼ばれ、その価値は計り知れません。腕の良い書家が癖まで真似して書いたものが残っていることも多く、それは実用的な掛け軸としての価値はあっても、真筆の価値とはまったく違います。同じような感覚が、デジタルでもできるようになっているのです。

始めに火が付いたのは、アートの世界ですね。デジタルアートになると、コピーと著作権の問題で保証するものが何もありませんでしたが、この技術により、あるアーティスト本人が作ったものだという、確実な証拠が残るわけです。作者のみならず、歴代の持ち主も全て分かります。ちょうどそれは、ルーブル美術館にある本物の『モナリザ』の持ち主を辿れば、レオナルド・ダ・ヴィンチにたどり着くのとよく似ています。

分かったような、分からないような……という感想かもしれませんね。このNFTが念珠屋と何が関係あるのか、次の章では具体的な計画を語ります。

念珠とNFTの融合:新しいアートの形

NFTは著作権保護が目的ではない

前章のNFTの説明では、「つまりデジタルでも、著作権のようなものが保証されるということ?」と解釈されたかもしれません。その考えは半分当たっていますが、半分は正しくありません。たとえば、著作権は法律によって保護されたり、音楽であればJASRACのような組織が権利を守ったりしています。Web3の世界ではこのような組織が存在するわけではありません。確実に持ち主がたどれる限り、このデータが間違いなく本物だろうということを、「みんな」が認めます。この辺りが、分散型自律組織と言われる所以です。特定の人が権利を牛耳るのではなく、流動的に関わっている「みんな」に認められたものは自然とその価値を獲得することになります。

額縁に入ったNFT

NFTの誤解:単なるギャンブルなのか?

このようなNFTですが、世の中に出始めたときは、投機商品のイメージが強かったことは否めません。2017年頃からは、ちょっとしたデジタルアートが何百万、何千万と値段が釣り上がったり、逆に何百万も買い込んだのに、無価値のデータになってしまったりということはありました。その後、「NFTの冬」と揶揄されるほど盛り下がってしまいました。これはNFTの本質を理解していない投機筋の人たちが飽きたというだけで、真価を発揮して世界が変わるのはこれからだと思います。
実際のところ最先端の業界でもどのような使い道があるのか模索中という感じはしますが、すでに大手企業は続々とNFT活用をし始めました。コカ・コーラ、スターバックス、日本企業でもトヨタ、サンリオ、吉本興業など挙げればキリがありません。

二五年前にこうした企業はホームページを作り始めたわけですが、その頃に、これからはお寺だってホームページを持つべきだと考えた人は少ないと思います。それが現在はどうでしょうか。今どきホームページくらいないと周りが困るという現実があります。

念珠のNFT

そこで、業界を先駆けて、念珠のNFTを作り広めたいと思っています。

具体的には画像データとして、念珠にちなんだイラストを描きそれを低価格ですでに販売しています。また、コミュニティ・シンボルとしてのNFTを無料配付しています。

NENJU art NFT
NFTを作るようになって最初にリリースした 「NENJU art」シリーズ。 こちらの代表作は、源氏物語に登場する 玉鬘(たまかずら)をイメージ。

ここからは、実践的な話になるので、詳しい説明はしませんが、販売はイーサリアム、無料配付についてはポリゴンのネットワークを使います。受け取るためには、Web3の「ウォレット」が必要になります。

この辺りは、各自でご用意いただく必要がありますが、まだまだ移行期ですので、手順を丁寧に説明する機会は必要かと感じています。

結局のところ、これらの画像データの配布がどのような意義を持つのかという部分についてお話しします。Web3での活動というのはすでに世界中で始まっており、様々なコミュニティがあります。二〇年前には考えられなかったかもしれませんが、お坊さんがYouTubeで配信を始めたように、いずれ仏教界隈でもWeb3のコミュニティでの活動が盛んになってくるでしょう。

私たちがお寺に集まって、顔見知りもいれば、中には見かけない人がいたとしても、その人が念珠を持っていたらどうでしょうか。まずは、「同じ仏教徒なんだな、お参りに来た人なんだな」と安心しませんか?今後、Web3のコミュニティで集まるのが当たり前になる時代が来たときに、現在のSNSのように有象無象の人の中で関係性を築くよりも、少なくとも念珠NFTを持っている人というひとつのコミュニティ・シンボルがあるというところで通じ合える事があると思うのです。念珠NFTはそれ自体に価値はありません。でも、長い時間が経ったときに、それを持っていたということにあとから大きな意味が付いてくる可能性があります。

念珠NFTについては、ご案内の専用サイト、解説動画を制作する予定でいますが、今のところすぐには実現できません。メタマスクなどのウォレットをすでに持っている、念珠NFTに興味があるという方は、個別にお問合せください。

Opensea、Raribleでもすでに「NENJUart」と「NENJU PATHWAY」というコレクションで公開されています。

NFTのマーケットプレイス

NENJUart

NENJU PATHWAY

OpenSeaのサイトを、一度開き、NFTの世界の雰囲気だけでも味わってみてください。

NENJU PATHWAY NFT
第2弾の「NENJU PATHWAY」シリーズ。 アンディー・ウォーホルのような アメリカンポップアートのタッチを意識しいてる。

デジタル時代の地域連携:リアルとバーチャルの融合

後半の章で詳しく書きますが、近年は、保護司、民生委員、小学校のPTA役員など、多くのボランティアや市民活動に参加するようになりました。そういった場所でよく耳にするキーワードに「地域連携」があります。学校と家庭だけでなく、地域の方に登下校を見守ってもらっています。犯罪や非行の背景には、貧困や家庭環境など福祉の問題が関係していることも多く、単独の組織で解決できない問題は枚挙に暇がありません。お寺の話でも「地域に開かれたお寺」と謳うことが多いですね。あらゆる社会活動は多少なりとも重なる部分があり、組織毎の縦割り業務ではなく、地域の横のつながりが重要視されています。

個人的な未来予想ではありますが、この「地域」という概念が今後は変わってくると思うのです。これまでのように物理的に近い範囲のみを対象としてコミュニティを形成するのではなく、心理的な距離の近い人が、物理的な距離を超えて、ある地域においてコミュニティ形成し始めています。地域というのはコミュニティのひとつです。このコミュニティこそが、今後のキーワードだと考えています。

コミュニケーションの進化:過去から現在への変遷

インターネットがまだ普及していなかった平成の初め頃を思い出してみてください。コミュニティというのは、家が近所、学生時代のつながり、職場が一緒、または取引先、同じ趣味で定期的に集う仲間、そういうところであったと思います。遠距離電話も国際電話もありましたが、それはとても費用もかかったことですし、毎日休みなくそれらを使うのはよほどの立場のある人に限られていたと思います。大多数の人は、県外の親戚に電話するだけでも、少し長くなると気を使ったものです。

地域コミュニティ

ところが、最近一〇年はどうでしょうか。SNSを中心に、世界が隣近所のように繋がりました。アメリカでもヨーロッパでも情報は瞬時に流れ、それは国際ジャーナリストやテレビを通じた者ばかりでなく、一般庶民がその場で撮った写真や動画が、瞬時に世界の人に共有されます。Zoom等のツールをつかえば、世界中どこにいても、電波さえとどけば、顔を見ながら複数人で語らうことができます。そして、そのコストは限りなく安いです。

ドラえもんの「どこでもドア」のように、物質的な肉体を瞬時に別な場所に移動させることは、まだ技術的に難しいですが、世界の人のつぶやきをリアルタイムで聞くことは、もう当たり前なのです。聴覚、視覚だけでなく、インターネット越しに、触覚が体感できる技術もまもなく実現しそうなところまできています。

ネット時代のつながり

こうなると、人と人とのつながりが、昔とはずいぶん変わってきます。共に喜んだり、共に悲しんだりする仲間がどこにいるかといえば、物理的距離はまったく無関係になってきます。同じ町内に住んでいる人よりも、毎日SNSでメッセージを交わしている会った事も無い仲間の方が、はるかに親しくしているということは、今や珍しいことではありません。

山古志とNFT:新時代の地域コミュニティ

ここで、「地域」の概念が変わりつつある興味深い事例を紹介します。

新潟県の「山古志(やまこし)」という地区のお話です。旧山古志村は、2005年に長岡市と合併し、現在に至ります。長岡市中心部から車で30分ほど離れた山古志地区は人口800人ほどで、このまま時代が進むとおそらく限界集落と呼ばれるのも想像に難くありません。

2021年の暮れから画期的なプロジェクトが動いています。

地域の名産である錦鯉にちなんで、「Nishikigoi NFT」が発行されました。2023年の夏には三期目の販売がされて、数名のデザイナーによるものが公開されています。アートコレクションとして単に購入することも可能ですが、このNishikigoi NFTが、山古志を一緒に応援する仲間の証となっています。具体的には、取得した時点で「デジタル村民」と呼ばれ、コミュニティに参加することができます。また、もともとの地域住民には希望があれば無償で配付されているそうです。私も、デジタル村民のひとりですが、いまのところ講演会などに参加している程度で、具体的な活動をしたことはありません。どの程度関わるかも、自由に選択することができます。

Nishikigoi NFT
山古志村有志によって発行されている「Nishikigoi NFT」の第3弾 画像は、実際に私が所有しているNFTのデザイン

興味深いのは、この活動はリアルな山古志と融合しており、デジタル村民が、実際に山古志に足を運び、地域のお祭りを一緒に盛り上げたり、大雪が降れば雪かきを手伝いにいったりということもしています。

山古志では、おそらく現在千人以上のデジタル村民がいて、世界から小さな集落を応援しているのではないでしょうか。もちろんNFT保有者の全ての人が積極的に関わっているわけではありませんが、一定数の熱心な方はいて、地元の方とリアルにつながりながら活動を維持していることは素晴らしいですね。

地域の再定義:デジタル時代のコミュニティと連携

話しは戻って、ここで「地域」とは、もう一度考えてみましょう。山古志のように日本中、世界中に「地域」の仲間がいるのであれば、リアルなご近所にこだわる必要がなくなります。勘違いされやすいのは、インターネットがあれば地元は無視してよいという意味ではありません。人口が減りゆく地元に嘆いているだけでなく、世界と繋がったほうが豊かだと思うのです。実際に、山古志では、様々な業種、立場、世代の人たちが連携し、しかもそれは、リアル住民とデジタル住民が隔てなくコミュニティを形成しています。

過疎地のお寺の住職さんが、SNSで情報発信してたくさんのファンを獲得してきたのがWeb2です。Web3では、そのファンと物理的な地域をこえた、連携をして次世代型のコミュニティを形成していくべきだと強く感じています。

江戸時代から続く檀家制度が、もう崩壊し始めていることは、皆さんが肌で感じていることと思います。ごく一部の都市部を除き、全国的に過疎が課題になっている昨今、どのように伽藍を維持していくか、そして御教えの相続をしていくか、解決策を捻り出すことは待った無しの状況になっています。

リアルとバーチャルをつなぐ、新しい「地域」の住民票ともいえるNFT、きっと将来は無視できない物になると思います。未来の話しではなく、もう始まっています。まずは練習の意味合いも込めて、念珠NFTを保有してみませんか。これは持った人にしかわからない感覚をきっと味わっていただけると思います。次世代型のコミュニティ形成、話しだけではまったくピンとこないと思います。仏教の未来を一緒に考える仲間が欲しく、現在は念珠NFTを一部無償配付しています。次世代型のコミュニティを見据えて、まずは、体感してみませんか。

野鳥や野生動物の撮影をしています

エゾリス

カメラを通じて、私たちは自然の瞬間を切り取り、生活に色を添えます。江別市の野幌森林公園で撮る写真は、喜びそのもの。特に昨年の秋、紅葉とエゾリスの生き生きとした姿は、生命の美しさを映し出していました。この趣味を通して、季節の移ろいを感じ、貴重な瞬間を永遠に留めることができるのです。カメラは、私たちの人生を豊かにする冒険の窓なのです。

撮影 2023年 野幌森林公園 登満別園地