地域に生きる(前略御住職様 第24号その7)

地域に生きる

ここ数年のコロナ禍も大きな転機ではありましたが、実はそれより少し前から心境の変化がありました。

二〇歳で大人、現在は一八歳で成人とされますが、四〇歳を過ぎたころから、もう一段階大人になった様な気がしていました。若者扱いされていますが、体力の低下、体調の不良も出てきます。しかし、心は穏やかで目線は広がり、知的好奇心は急激に強くなった気がします。平均寿命まで生きられる保証はなにもないとはいえ、少なくとも「あと半分か」ということを多少なりとも意識するようになりました。お世話になった人、身近な人の訃報も続くようになり、いつ終わるかも分からない人生という本当に限られた時間をどう使おうか考えるようになりました。

この先、欲しいもの、成し遂げたいことは色々あります。しかし、それらが達成したところで、自分が亡き後は何が残るだろうと考えたときに、自分が集めたものというのは、残された人にとってはガラクタでしかないということを感じるようになりました。

『続・氷点』(著・三浦綾子)で引用していた「ジェラール・シャンドリ/一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」という言葉に出会い、ちょうど「余命」の使い道を考えていた自分とマッチし、人生の後半戦は少しでも「与えられる人」になりたいと感じました。その言葉はキリスト教的な響きを持っていますが、仏教にも「利他」という概念が存在します。例えば、比叡山で行われる千日回峰行では、九日間の堂入りの後、自利行から利他行へと修行が変わります。

私はこの考えを自分の人生にも当てはめてみています。二〇代三〇代の自分のためだけに頑張る日々から、最近は他人のためにも時間を使う生活にシフトしても良いのではないかと感じています。もちろん、自分の人生を荘厳な修行に例えるのはおこがましいですが、このような生き方に価値を見出しているのです。

五、六年前にそのような心持ちになったとたん不思議と地域の方から立て続けに声がかかり、様々な活動に関わるようになりました。立候補したものは一つもありません。

自営業でサラリーマンと比べると時間の自由が効きやすいこと、また、今まで積み上げてきた情報発信の甲斐もあって、長岡はこういうタイプの人間だということが、いつの間にか周囲に知られていたようです。PTA役員、保護司、民生委員児童委員、NPO法人の理事、登下校の見守りボランティアなどなど……それらの人脈から、さらに頼まれた事も多いです。

一〇数年前には「念珠屋さん」と呼ばれるようになったことは、自分が何者か分からなかった中でひとつのアイデンティティができたようで嬉しかったことを思い出しますが、ここに来て自分らしく地域で活躍できる生き方にシフトできたことに喜びを感じています。こうして構築した地域ネットワークを基礎に、今後はさらに地域の人たちを繋げる役割を担っていきたいと考えています。

フルーツカット
江別市内のカフェでフルーツカッティングを習いました。 生活の中に彩りを添えることはとても豊かです。
フルーツカット作例

NPOの理事として

昨年、NPO法人の立ち上げに理事として声がかかりました。「シェロクリ」という団体で、その名前の由来は漢字の「江別」の文字をカタカナでバラバラにしたものです。江別の市民活動をネットで繋ぐというのが活動目的の団体です。これまでの前章でも少し触れてきましたが、仕事としてやっている「まなびライフ」の活動とも一部重複していますが、それは別途個人契約をした場合であって、当然ながらNPOとして受けた仕事は利益がでる仕組みにはなっていません。近年はどうも事業が疑わしいNPO団体も多くイメージが悪いかもしれませんが、私が代表の考えに共感したのは、非営利団体としてのこだわりです。そのために初期メンバーも全員が公的なボランティアなど、市民活動団体に所属している人しか採用されていません。自分の利益を基準に動くタイプの人ではなく、そもそも、生き方に福祉的な発想がない人を仲間にしてはダメというのが前提になっています。後に聞いたことですが、「パソコンに詳しいから長岡さんに声をかけたわけじゃない」というのは、つまり人柄や生き方を見てくださったという意味で、大変嬉しい言葉でした。ですから、それぞれに忙しいにもかかわらず「割合わない」とか「報酬を出すべきじゃないか?」などのありがちな問題がメンバーの話題に出ることはなく、大きな夢に向かって活動を進めています。

面白いと感じているのは、こうした活動の中では私の事を「念珠屋さん」と意識して関わっている人はほとんどいないということです。前章でも紹介した「まなびライフ」の活動は、「作務衣の念珠屋さん」がやるにはあまりに唐突で、マーケティングも難しさを感じていました。しかし、このような活動が功をなして、組織運営やネットワーク構築に強いイメージを持ってもらい、私自身のブランディングに大いに貢献しています。

ビジネスチャットの導入、管理などをサポートしながら、自治会や社会福祉協議会も巻き込んで、民間企業ではなく、すべてボランティアなどの市民活動団体の人たちばかりが数百人も集まり、ネットワークが繋がりつつあります。ゆくゆくは、江別市のサイバーシティのようなイメージをしており、インターネット上の市役所の様な存在になっていくことでしょう。

私が所属している団体の個々の活動については詳細を書き切れません。江別に住んで一五年が過ぎ、本当に大きな地縁に恵まれて、豊かに暮らしています。

野幌森林公園で撮影したクマゲラ。
体長50センチほどあり日本最大のキツツキ。絶滅危惧II類、天然記念物。
江別市には豊かな自然がある。

アソシエーションの中で

経営者の端くれとして、そして、一家の大黒柱としても、最低限の金儲けのことを常に考えなくてはいけません。とはいえ、それだけで自分や家族が幸せになるだろうかと疑問を持っていたところ、恩師に勧められたのがマルクスの資本論に関する書籍です。

マルクス主義というと、かつては革命的なちょっと危ない思想のイメージがあったかもしれません。マルクスが書いた『資本論』は、昔とはずいぶん解釈が変わっています。マルクスのノートが見つかり、後を継いで著書の仕上げをいたエンゲルスが、ずいぶん解釈をねじ曲げてしまったということも言われています。マルクス自身も、社会主義とかコミュニズムという言葉よりも、アソシエーションという言葉を多く使っています。コミュニティとは自主的な共同生活のことですが、コミュニティを土台とした集団が目的をもって活動するとアソシエーションになります。中間団体、中間的組織などと訳されることもあります。

マルクス
カール・マルクス(1818-1883) ドイツの哲学者、経済学者、社会主義におよび 労働運動に強い影響を与えた。

私が資本論から感じ取れるマルクスのメッセージは、資本主義だけにとらわれて生きるのは危険で、そのために、アソシエーションに身を置くことです。

日本に住んでいる以上は、資本主義をぶち壊せ!というのは穏やかではありません。個人が財産を持ち、資本家と労働者というルールの下、生活費を捻出する方法を考えなくてはいけません。それが幸せなことなのかどうかは、多くの人が国語の教科書で読んで記憶があるでしょう宮澤賢治の『オツベルと象』を思い出していただければ想像つくでしょう。あなた自身は、鎖で繋がれた象ですか、最後には潰されるオツベルですか、それとも、見て見ぬ振りをする百姓ですか。「拝金主義」とでもいいましょうか、やはり資本主義一辺倒では、幸せな一生が見えてきません。

そのような世界で生きていく上で、宗教はある種のアソシエーションでしょうし、私のように僧侶ではない人間が、生活の中で一番実践しやすいのは、地域のボランティアです。道元禅師がこの話を聞いていたら、それは仕事でも家事でも同じことだと言われそうですが、現代の私たちが生活のかかった仕事の中で、打算的な考えを一切抜いて打ち込むのは難しいことです。

こうしてお金にはならない市民活動をすればするほど人生が面白い方向に進み、幸福感が増し、結果的にお金が絡む仕事の方もなんとなく上手くいってしまうというのは、私の生き方としてはとても合っていると感じています。

お金の虜イメージ

最近は、自治会に関わっているからなのか、民生委員だからなのか、はたまた登下校の見守りに参加しているからなのか、「どの長岡」に用事があるのか分からないような相談を多々受けます。近所の不法投棄で困っている、お父さんが怖くて家に帰りたくない、子どもの泣き叫ぶ声が聞こえるけど大丈夫かしら、生け垣のせいで交差点の見通しが悪い……等々。

特に若い世代は、日々の生活に追われています。多くのボランティアは一回り以上年上の人とご一緒することが多いですが、PTA役員は例外的に同世代です。強制されたり負担になったりという問題も世間ではありますが、私の周りではこのような考え方をシェアして、できる範囲で楽しく続けよう、それはとても幸せなことですねという話をしています。

PTA会議