平等への視座

とても難しい本を、本願寺派の住職様よりいただきました。

梯 實圓氏、上山 大峻氏の対談形式になっていますが、正直読みやすいものではありませんでした。
ある意味、目からうろこという部分も書かれています。しかし、いかんせん難しい。

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僕が前回の店の広報「前略ご住職様」の中で、あるご法話をきいて、どうしても浄土真宗の納得のいかなかった部分が、非常によくわかったというエピソードを書きました。その記事を読んだある住職様が、この本を読んで、同じく共感した部分があるので読んでほしいとわざわざ送ってくださったのです。もちろん、そこまでの心遣い、うれしい限りではありますが、反面、非常に困りました。「とても良い本でした、ありがとうございます」と素直にお礼を言えない本だったからです。いままで、お客さんの割合が多い浄土真宗に関する本はずいぶん読んだつもりでいたのですが、あまりに言い回しが難しく飲み込むのに時間がかかります。頻繁に出てくる曇鸞様の『論註』ほか、七高僧の言葉の引用が多く、読み終えてみると改めて、冒頭で書かれていた「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」という意味がわかります。
結局、3回ほど繰り返して読みました。ようやく、言わんとしていることが、なんとなくわかったようなわからないような気になりますが、普段いかにご法話というのは噛み砕いでわかりやすくお話くださっているかというのが改めて感じました。

「平等」というと、すぐに部落や人種などの差別問題を想像しますが、そういった人間の表面的な平等ではなく、もっと深いところの、命の平等ということが語られています。そして、後半では、真宗門徒がどう生きるべきかということについて書かれています。このあたりは、意外と語られることが少なく、非常に浄土真宗が誤解されやすく、伝わりにくい部分のようにも感じます。
何をもって真宗門徒かという問いに関しては、親鸞様を尊いお方だと慕えば、もう真宗門徒と呼べるのではないかとも書かれていました。そういう意味では僕自身も真宗の菩提寺があるわけではありませんが、真宗門徒として生き方のヒントを分けてもらえそうにも思えました。はたして、宗派の食べ歩きのように仏教に触れていくのが果たしてよい方法かどうかはわかりませんが、内側からだと見えなくなってしまうこともたくさんあります。

宗教書というのは、とても読み手のレベルを問うものだと思います。特に宗教者自身が書いたある程度専門的なものは、その宗派の常識的なことはわかっている前提で書かれていることが多く、そのレベルに達しないまま読み始めても、途中でちんぷんかんぷんになってしまいます。特に、日蓮宗と浄土真宗はご本尊と対等なほど宗祖を大事にする傾向があり、それだけに非常に教学が発達しているような気がします。(あくまでも私見で、勉強不足かもしれませんが・・)
したがって、宗派を掘り下げた本は特にマニアックな内容のものが多く、段階を踏んで勉強していかなければ、なかなか凡人には一度に理解しがたいことが少なくありません。

さて、本のお礼をなんてお礼を言おうか困りましたが、とても難しく、よくわかりませんでしたと正直にお手紙書くよりほかありませんね。数年後に読み返せば、また目線が変わって発見もあるかもしれません。