紐房の数珠 輪の謎

※(当ブログでは、念珠=数珠として書いています。文脈上の理由などから混在することがありますが、ご了承ください)

今回は紐房(ひもふさ)の話です。男性用も紐じゃなくて房じゃないの?という方も、宗旨(しゅうし)、地域によっては多いかもしれませんが、その話はまたいつか。

足先の輪の部分の話

真は八本足になる組み方ですが、そのうち6本は切りっぱなし、一か所が輪になっています。この状態でお渡しすると、切り忘れだと思って、ご自分で切ってしまう方が結構います。
電話をいただいて、「切り忘れたんでしょ?」というお問い合わせもあります。

使いなれた方はご存知だと思いますが、これはわざとそうしているのであって忘れたわけではありません。

輪を残すのが正式か?

しかし逆に、「すべて切るのは間違いであり、輪を残すのが正式」という方がいますが、これも疑問です。

各宗派の作法関係がまとめられた書籍の他、すべてではありませんが、各宗派本山を通じた機関に問い合わせても、この輪に関することは、全く触れられることはありません。

この輪の正体ははいったい・・

房の形の歴史をたどる資料というのはほとんど見つからないため、僕が知りうる範囲で経験的な話ですが、そもそも、この8本足に組み方でさえ、そんなに歴史はないように思います。

現在ご健在で年配の方は、1本の紐で編んだ4本足のもの(写真左の白色の形)を使っています。これも、2本は切れ端、2本は輪になっています。これがアミ紐房とも呼ばれるようになりました。

さらにもう一世代上(亡くなったおじいさんの形見ということで修理を預かることがあります)になると、編み込みがなく玉の下でつゆ結びしただけのもの(写真右の黄色の形)をつかっています。

ここまで来ると、輪を残すかどうかというより、単に1本の紐を切らずに編んだという形が見えてきます。付け根を編み込んでいないので、無理に輪を切ってしまうと簡単に紐が抜けてきます。おそらく、この昔のスタイルの名残で、飾り編みをするようになった今も習慣的に輪を残しているのだろうなと、想像しています。

長岡念珠店としての結論は、基本的に輪を残す。

当店で制作する際には、特殊な編み方を指示されなければ基本的に輪を残すようにしています。気になる方は切っても問題ないですが、一般的には、輪を残して使われている方が多いかと思います。

輪を残す理由がなにかと聞かれましたら、それが正式とか意味があるとかではなく、「そのほうが粋」というところでしょうか。こった結び方でも上手く輪を残して仕上げるというのは、多少の手間とちょっとしたコツも必要になります。その面倒をあえてやるのが「粋」かなと。

各お寺のご住職様に任せている部分もあるようで、絶対的な正解はありません。お付き合いの住職様や家族親戚の先輩方と相談しながらそれぞれの結論を見つけていくのが、また、良きご縁となるのではないでしょうか。

※2014年に投稿され、2017年に加筆、修正しています。

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