ミャンマーの数珠くり瞑想

仏教の発祥以来、いわゆる北伝の仏教では数珠が発達して、日本では各宗派ごとに、さらには法要の内容や袈裟に合わせて数珠が定められていたり、意外と決まっていなかったりと、とにかくたくさんの形が存在します。逆に一般に南伝の上座部仏教圏では、僧侶も数珠は使いません。

しかし、ミャンマーというのは地理的環境、民族的特性もあると思いますが、仏教徒の習慣も独特です。教理的には上座部の教えに近いのですが、お勤めの習慣は中国や日本でも見られるような大乗仏教に近い部分もあります。

つい最近まで、上座部圏では数珠は使わないと一括りに思っていたのですが、たまたまミャンマーのお話を聞き、タイ北部やミャンマーでは、わりと普通に数珠が使われていることも知りました。ミャンマーの比丘尼ディーパンカラ・サヤレーも、子どものころから周りの大人がやるように数珠を爪繰って瞑想してしていたということをインタビューで話していました。
『ビルマ佛教』(著・生野善應師)によると、108個プラス紐留めの1個の玉を両手で爪繰りながら使うということが解説されています。俗人は「無常」「苦」「無我」(実際にはビルマ語で、サンスクリット語、パーリ語とも発音は少し違うようです)と唱えながらそれぞれ1個ずつくります。108個ですから、36セットで一回りということになります。僧侶はポンジーと呼ばれていますが、9種類の言葉を108回ずつ唱えて、最後にその9称号を1回ずつ12セットで108個をくるという作法になっています。基本的には結跏趺坐といいますから、いわゆる座禅をしてということですが、堂内を歩きながらすることもあるようです。

ちなみに、ビルマ語では数珠のことを「ゼバディ」というそうです。

 

ヴィパッサナー瞑想のような古典的なものだけでなく、先日、プラユキ・ナラテボー師にご指導いただいた手動瞑想のように新しいスタイルの瞑想法もありますが、数珠を繰りながらというのは、意外に私たち日本人にもなじみ深いところではないでしょうか。

商品写真20160608-304

そんなわけで、さっそく作ってみました。情報が少ないので想像の部分も多いです。見たことがある写真だとおそらく直径8mm前後の玉で作っていそうですが、これは10mmの黒檀を使っています。日本だと禅宗の形に近いですが、四天玉はありません。これは四天王を表すと言われています。もともと、インドの神様なので、たぶんインド人が効いたらヒンドゥー教の話になのでしょうか。ミャンマーでも四護神というのはあるようですが、仏教とは分けて考えられているようです。

さて、これをくりながら、「無常」「苦」「無我」、「無常」「苦」「無我」、・・・・
明日の朝からやってみようかしら。