トイレ掃除

禅院では浄頭(ちんじゅう)という役割があります。珍獣ではありません。浄頭です。平たく言えば、トイレ掃除係です。

世間的にトイレ掃除は誰がしているでしょうか。
ほとんどのトイレは、社会的に立場の弱い人がやっているように思います。集団の中でも一番若い新人とか、大きな会社だと清掃業者に任せているということも多いですね。清掃員の方が、依頼元の社長より高給取りということはないでしょう。多くの家庭では主にお母さんの役目というのも、女性の立場が弱かった時代の名残でしょう。

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非常に興味深いと思ったのは、浄頭は一番下っ端の修行僧がやるのかと思ったらそうじゃないんです。首座(しゅそ)と呼ばれる、修行僧のリーダーが浄頭をするそうです。首座和尚が「やらされる」のではなく、首座になれないと「やらせてもらえない」と言った方がいいかもしれません。それだけトイレ掃除は尊い作務だということです。詳しくは、曹洞宗の道元禅師のお師匠様である中国の天童如浄禅師のお話が有名ですので、気になる方はググってみてください。

テーラワーダ仏教と大乗仏教は切りなして話題になることが多いですが、こんなときトイレ掃除もまた瞑想だと感じることがよくあります。便器を磨きながら、将来に不安を感じたり、昨日のことでくよくよしたりするのは難しいです。今このトイレをピカピカにすることは、いろんなとらわれから解放されて、心の平穏を得ることができます。日本の仏教に言わせると、おそらくそれぞれのご宗旨の教義に合った方便をもって言いようがあるかと思います。

汚れるから掃除をするというのは道徳で、それもまた素晴らしいことです。しかし、とやかく理由を付けずに、とにかく毎日トイレ掃除を続けるというのは、何とも穏やかな心持で、清々しく日暮を過ごせます。

ヴィッパサナー瞑想や近年開発された瞑想メソッドもいろいろ学ぶことはできますし、日本のお寺でも修行体験などできる機会もあります。そういった御縁も大変心に残るものになると思いますが、特別な機会を設けなくても、何気ない日常を丁寧に生活する、その一つとしてトイレ掃除をサボらないということは、心豊かで自由でいられるような気がして実践しています。

※この記事は個人の感想であり、効果・効能を示すものではありません(笑)